2008年02月05日

蕎麦をすする音マナー違反?粋な食べ方考

江戸ソバリエ仲間のhighlandさまから、蕎麦の食べ方についての面白い新聞記事を教えてもらった。さっそく読んでみると、江戸ソバリエとはご縁の深い三遊亭圓窓師匠と、江戸ソバリエ認定委員ほしひかるさまの言葉も載っていた。聞くところによるといくつかの新聞社からこの件で、取材を受けたそうだ。
 
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2008年2月2日(土) 東京新聞 朝刊より
 


蕎麦をすする音マナー違反?
粋な食べ方考 

音を立てる蕎麦の食べ方で嫌われてしまった―王貞治・福岡ソフトバンクホークス監督の二女で野菜ソムリエの理恵さんとゴールイン予定だった医師・本田昌毅入が、結婚延期理由の一つをこう説明し、話題となっている。そこの真相はさておき、粋な蕎麦の食ベ方を専門家に聞いてみた。今朝は「蕎麦の食い方」考をどうぞ。

「音を立ててすするものです」。断言するのは、
蕎麦打ちや食べ歩きなどで日本食文化の普及を図る「江戸ソバリエ認定事業実行委員会」の、ほしひかるさん。ざるやもりなどの冷たい蕎麦は空気と一緒にすすり込んだとき、味と香りを堪能できるという。「噛む」「飲む」の中間程度に、ほどよく口の中で転がし、喉ごしを楽しむ。これを「手繰る」というそうだ。この時期嬉しい温かい蕎表はつゆや具の味が主役に躍り出るが、ほしさんは「日本人はすするのが上手ですから」と「音立て派」を推奨する。

 
扇子と口、手だけで、蕎麦を食べているかのように演じる落語「時そば」も「音立て」が付きものだ。蕎麦落語を創作する三遊亭円窓さんは「蕎麦に音は付き物。日本の食文化です。歌舞伎の雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)も、直侍が蕎麦をすすると、客席から拍手がばーっと上がるでしょ」 

ラジオの普及で落語も「音立て」するようになったとして、落語の上での音立ても伝統的ではないとする説もあるが、円窓さんは「それは嘘です」ときっばり。ほしさんは「蕎麦は江戸中期以降、町人がかき込んで食べた。だから、勢いが大事。女性はゆっくり食べますから、温かいそばを、音を立てずに召し上がるかもしれませんけれど」。
 

ほしさんは、戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイスの著書「日欧文化比較」も参考に挙げる。岩波文庫「ヨーロッパ文化と日本文化」によれば、フロイスは「われわれの間では口で大きな音を立てて食事をしたり、葡萄酒を一適も残さず飲み干したりすることは卑しい振る舞いとされている。日本人たちの間ではそのどちらのことも礼儀正
しいことだと思われている」と記したといい、ほしさんは、戦国時代にはすでに音を立てて食べる習慣があったとみる。 


もっとも、本田医師の件で問題となったのが、日本蕎麦とは限らない。「こちら特報部」は念のため、中華麺に関しても調べた。
 

「よく分からないが、中国でも音を立てるはず」とは、横浜中華街の四川料理店「重慶飯店」営業部長で中華料理のテーブルマナー講師資格を持つ安藤直昭さん。「本場の中華料理では、日本のような汁そばは少ない。小さな椀に汁の少ない麺が入っており、ロ元まで持ち上げて食べる」
 

書店に並ぶ多くのマナー本は「蓮華に麺を乗せ、音を立てずに食べる」のが正しいとしているが、安藤さんは「いい形のように見えるが、蓮華が小さかったら麺が乗らない」とちょっびり否定的。「おいしく食べればいいんですよ」
 

中華は音にこだわらず

 
しかし、広大な中国のこと。地域差はないのか。上海、香港、台北の三十基局の特派員を経験した本紙外報部の佐々木理臣デスクは「現地の人は大きな音を立てていない。かといって、絶対、音を立ててはならないという巌格さも感じられなかった」と話す。「日本人は類が伸びないうちに、と急いですする。向こぅの人たちはお喋りしながら時間をかけて食べるから、すする必要がないのでは?」。麺を蓮事に乗せて食べる作法は「私は見たことがありません」。北京と上海に駐在経験のある会社員も「むこうでは客が頼まない限り蓮華は出てきませんけどね」 

要は、まわりからもおいしそうに見える食べ方が最高なのかも。

       
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とあった。
なるほど!ふむふむ。 

蕎麦屋の中でも、「音立て×派」の方はいらっしゃる。
私の伺った中で特にはっきりと音立てに「×」と仰っていたのが、神楽坂「たかさご」のご主人。東京新聞の記事の中にもあったが、「たかさご」のご主人は、ラジオで落語家が「時そば」をやったときから、蕎麦は音を立てて食べるという誤解が生まれたと説いていらっしゃる。確か、品書きの中にも、そのような事が書いてあったような気がする。(私、5代目柳家小さんの「時そば」生で聞いたことがあります。ほぉ〜それがどうした?年食ってるだけだと聞こえる気もしますが。それから、5代目柳家小さんの弟子柳家さん八に、蕎麦の仕草を実演してもらいました。わーい(嬉しい顔)温かいお蕎麦と冷たい蕎麦で、音や扇子の使い方も少し違っていて、説明を聞かずとも、扇子の箸の端から、湯気が立ち上っているように思えて、感心しました。どちらの音もそれは美味しそうで!いい。ハハハちょっと自慢しちゃいました。あっ、そんなもの自慢じゃない。もうやだ〜(悲しい顔)はい、失礼しました。)
 

という訳で、話を戻すと、
「音立てOK派」の蕎麦屋で印象に残るのは、雑司ヶ谷「和邑」のご主人。美味しそうに粋に手繰っている音が聞こえ、分かってくれているんだなぁ〜と嬉しくなって思わず厨房から客席にでたことがあると言っていた。食べ終わったお箸でも、お客さんのことがわかるとも。

 
少し前TVのクイズ番組では、中国、韓国、日本が麺をすする音に対して寛容と言っていた。そして、私は絶対、「音立てOK派」。蕎麦をパクッぽそっと口へ運んで、もそもそ噛んでも美味しくないじゃないか。必要以上に音を立てることはないが、味わおうと思えば、どうしても若干の音は出てしまう。理由は東京新聞記事中のほしひかるさまの通りだ。 

日本酒のきき酒、ワインでソムリエの行うテイスティング、紅茶ブレンダーのテイスティングなどなども同じように、空気と対象を攪拌させて香りを際立たせ、より繊細なものを感知できるようにする為に、結果として音が立っている。格式のあるレストランで、ソムリエがバーワインを口に含みシュルシュル音をさせている姿を見ても、誰も「行儀が悪い!」と眉を顰めないのは、その理由を知っているからだろう。

 
だから、日本蕎麦でも同様なのだと、音について是非寛容になってもらいたいと願う。外食産業も隆盛を極めた江戸では、大商人や金持ちばかりでなく庶民までが、蕎麦屋を含めた美味しい処を、ランキングして楽しんでいたことは有名な話。美味しい蕎麦の香味を存分に楽しもうとした日本人の食べ方が、今に伝わったものだとすれば、手繰る音も愛おしく思えてならないのだが、いかがだろう?音、ご容赦願えませんかね。


 次項有「蕎麦を啜って食べると、何故旨い」検証番組
   NHK 解体新ショー 2008年9月12日放送分
   についてのブログ内記事へ
posted by 笑門来福 at 05:34| 東京 ☀| Comment(31) | TrackBack(1) | ■「耳学」いろいろと薀蓄を | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
さすが笑門来福さん、よくわかりました。世間を賑わせている「音を立ててそばを食べる・・・」の事は私も興味がありました。やはり女の方は注意して食べているようですが(全然音を立てないで食べている人は女の人が多い)少しは音を立てた方が美味しく聞こえますよね。私は中華そばより日本そばの方が音が出るようです。(美味しいですよ・・って)
Posted by tannte at 2008年02月07日 16:16
 「蕎麦は空気と一緒にすすりこんだとき,味と香りを堪能できる」ということですが,私は,汁につけた蕎麦をすするとむせてしまいます。山葵をつけるとなおさらですので,香りを堪能するどころではありません。すする方法が間違っているのでしょうか。ですから,すするという意識はなく,淡々と食していますが,やはり音はするようです。

 江戸時代の若い庶民は,貧乏で仕事に追われていたので,安い蕎麦を音を立てて掻き込んでいたのではないでしょうか。その後,その様子が世間に「粋」な仕草と認められるようになり,現代にまで通じているのではないでしょうか。
 その風景は,現代の駅前蕎麦でも見られますが,皆さんはこれを「粋」とは言わないでしょう,それは「粋」外です。
 やはり,蕎麦をすするという行為が「粋」となるのは,蕎麦屋で一人で,あるいは仲間内で手繰るときなのではないでしょうか。

 この意見は,あくまでも私の考えですので,間違っているかも知れません。ご覧になっている方コメントください。
Posted by たけじん at 2008年02月07日 22:18
tannteさまのように優美な方が、お蕎麦を啜る時に音がでると仰ってくださると、なんだか勇気づけられるし嬉しくなります。

お蕎麦の食べ方で啜ることに付随して、こんなに男女で違いがでてくることが不思議で、ここ数年あ〜でもないこ〜でもないと考えています。勉強不足でごくごく僅かに残る教訓書原文を読むことができず、端折った要約を読んでは更に迷路に入り込んで…。
そんな折、中村桃子の「〈性〉と日本語」(NHKブックス)を読んで、ほぉ〜と、その内に頭の整理のためにもブログで別記事としますので、どうか一緒に考えてください。

たけじんさんが仰るように「粋」の規範も、考える人のいろいろな思い入れもあり、必ずしもかっちりとした形として言い表すのが難しい気がします。
でも、私の思い込みでは、ボトムアップの美意識というかぁ、上から押し付けられたものでなく、庶民から作り上げて社会に広がった共通認識という気がするので、社会情勢も変わっていくそれぞれの時代で、ある事柄について、今までの「粋」ということに当てはまるかどうか、すり合わせたり、馴染んだりするのに、ちょっと時間がかかるのかもしれません。
だから、西洋のマナーも入っている今の時代の「音」は「粋」と、どうなんでしょうかね?

皆さんのご意見が聞きたいところですね。
Posted by 笑門来福 at 2008年02月10日 10:14
いや驚いた、嘘ばっかりですね。
江戸の文化を何だと思っているのでしょうか。徹底的に勘違いしてませんか?

匂いは鼻で感じるんですよ。口を開けてズルズルすすったら良い匂いが
鼻を通らないで口から逃げていくじゃないですか。
口を閉じて噛むから新蕎麦の匂いが楽しめるんですよ。

江戸時代は華美が禁止されていて、皆外見は質素に、内側の見えないところに
気を遣ったのです。それを指して、おっ粋だね、というんです。
「どうだ見やがれ、お洒落だろ」なんて外見の華奢を競おうって輩を野暮って
いうんです。
「どうだ、俺は蕎麦を味わってんだぜ!ジュルジュルジュルー!!」
これって粋ですか? いいえ、野暮以外の何者でもないですね。

ところで某掲示板にも書きましたが、私の祖母は華と琴、三味線の先生をして
いました。祖母の若い頃は士族の出の先生に内弟子として仕えていました。
そんな祖母ですが、私が物心ついてからというもの、祖母以下、母や叔母が
ズルズル野暮な食べ方をしているのを見たことがありません。


落語家程度が、一端の伝統を背負ってるみたいな野暮な発言をするのは如何な
ものかと思います。

TVドラマで殺人があったら、真に受けて警察に通報する方がそう居るでしょうか?
では、冗談を商売にしている人が「蕎麦はすするものだ」といったら、真に受ける
人がいるのでしょうか?
Posted by ささやかな伝統の保持者より at 2008年07月20日 00:53
ささやかな伝統の保持者よりさま

コメント有難うございます。
いろいろなご意見や考え方を知ることができるのが、
双方向で情報をやりとりできるブログの良い点ですね。

「粋」に関して表現したり説明することは、
日本人どうしでも、時としてとても難しく感じます。
皆それぞれ自分の「粋」感を、胸に抱いていることと思います。

「蕎麦を啜る音」だけに話題を絞ったとしても
これだけ、感じ方の違う人がいるのですから。

記事中にも書きましたが
ささやかな伝統の保持者より様と同じように
啜る音を「野暮」と感じる方も何人かは知っています。
どちらが「正しい」ということでなく、両方の考え方を「尊重」したいと思いますが、
いかがでしょうか。

そして「粋」とは別に、啜る「理由」についてです。
美味しく食べたい。より深く味わい香りを楽しみたいという理由により
啜っていることは、ご理解いただけないでしょうか。
記事中にもあるとおり、日本酒のきき酒師、
紅茶のブレンダーやワインのソムリエがする行為の「理由」と同じです。

それに
>口を開けてズルズルすすったら良い匂いが
>鼻を通らないで口から逃げていくじゃないですか。
>口を閉じて噛むから新蕎麦の匂いが楽しめるんですよ。

大丈夫です。心配いりません。
口と鼻は繋がっていますので
啜って食べている時も、香りを感じます。


そのあたりの啜る理由が、よくわからない場合は、

 NHK総合 毎週金曜 23時〜23時半
 「解体新ショー」
 http://www.nhk.or.jp/kaitai/p_what.html

 ※9月12日放送予定分が、
  「蕎麦を啜る」について

この番組では、蕎麦を「啜る」「啜らない」ということで実験を行い、
わかりやすく数値で実証したと、関係者より聞きました。
どうぞ何かの参考になさってください。
私も是非拝見するつもりでいます。


大都市であった江戸では、人口が密集していましたから
都市生活者として、お互いに気持ち良く暮らせる工夫も大切であったと思います。
そういった規範が「粋」に繋がるものにもなったはず。
美味しいお蕎麦を、楽しく食べましょうね。
細く繋がるお蕎麦の御縁を楽しみましょうよ。
Posted by 笑門来福 at 2008年07月21日 11:36
私も、和食を食べるときは、音を立てて食べるものではないと言う、教えを受けた派です。
落語家が、そばなど音を立てて手繰るのはおかしいと思っていた派であり、なぜそうなったかも、
NHKのラジオで演芸をやり始めた(誰も客のいないところでやる、落語に落語家もとまどったとか・・・演芸は客の反応を見ながらやるのもですから)過剰な効果音もそのせいだとも。演芸場では、仕種で表現できたものも、視覚の無い媒体で伝えることの難しさから、過剰な音になったのだとも知りました。
 いつのまにかあの過剰な音を立てることが、蕎麦喰いの常識のように言われ始め、食通だの、ソバリエだの怪しげな専門家と称するやからが、
いかにも、もっともらしい理由をこじつけ始めたのが、蕎麦の音だし喰いだと感じました。
 だいたい熱い蕎麦(麺類)は、音が出るほど
手繰ると、熱くて火傷するほどだ。
 冷たい蕎麦(麺類)も音を立てて手繰ると
汁が飛び散る。
 自分が満足するためにジュルジュル音を
立てて喰っても、人が過剰に音を立てて喰われると、いやな感じも受ける。
 人を不快にしないためにも、過剰な音は嫌いです。
Posted by 源三位 at 2009年09月19日 06:15
源三位さま

この度は、コメント有難うございます。
なるほど源三位さまは、「音立て×派」ですね。

音立ての嫌な方の気持も、こうして書き込んでくださったことで広く知れ渡り、
皆で考える場となれることが嬉しいことだと思います。有難うございます。


しかし話の前提として…

>NHKのラジオで演芸をやり始めた…
>……過剰な音になったのだとも知りました。

この説は私も知ってはいますが、信憑性は…どうでしょうか。

数十年前のラジオ放送開始の頃というのは、つい最近のことのように思えます。
記事本文中にもありますが、戦国時代には、既に文章として“この音”のことが、記されています。
資料や文書にでているということは、
その習慣が既にその書かれた時より以前には、あったということです。
随分と昔の人も体験的に美味しく食べる方法を知っていたということだと思います。


>人を不快にしないためにも、過剰な音は嫌いです。

そうですね。
過剰にことさら音を立てる必要はないと私も思います。

>自分が満足するためにジュルジュル音を立てて喰っても、
>人が過剰に音を立てて喰われると、いやな感じも受ける。

より美味しく香味を感じたいと思うと、
空気と一緒に啜るので…絶対に無音でというのは難しい気がします。
どうしたってやはり音は、少しでてしまうようです。
この辺りのことを実験し数値化した、NHKの科学実験検証番組「解体新ショー」は、
御覧になりましたでしょうか?
反響が大きかったのか、何度も何度も再放送されました。
また編集しなおして、「ジャパノロジー」という日本文化を紹介する海外向けの番組にもなっています。

それは知っている。しかし、
科学的、文化的な理由はいかようでも、“この音”が嫌いな人がいる以上、
自分の満足の為に、他の人に不快を押しつけてよいのか?
というご意見だと思いますが…。


私は、「音立て×派」の方がいらっしゃるのを知っていると同時に、
「音立てOK派」これはOでなく、OKとしているところが肝ですし、
“この音”に好感を持っている人もたくさん知っいます。
ということで、「音立て×派」の方には、申し訳ないのですが、
どうか「少しの音」の容認を、お願いしたいところです。


>ソバリエだの怪しげな専門家と称するやからが、…

ここは、江戸ソバリエの中の「石臼の会」という蕎麦愛好者グループのブログなので、
少し申し開きをさせていただけば、
私たちのグループにおいては、皆「蕎麦を愛し、蕎麦の繋いでくれるご縁を大切にしながら、
蕎麦を多角的に深く深く勉強する」という態度表明をしております。
よそ様から“怪しげななやから”と思われないように、真摯な努力を続けてゆきたいと思っております。
どうぞご理解の程、よろしくお願いいたします。

Posted by 笑門来福 at 2009年09月21日 11:09
古い記事で、本論ではないのですが、一言言わせてもらいます。
世界のホームラン王の名前が「王点治」では困りますよ。「王貞治」氏です。
Posted by 通りすがり at 2010年08月03日 07:57
通りすがり さま

この度はご指摘を有難うございます。
さっそく、記事内当該部分を訂正致しました。

今後ともどうぞよろしくご指導くださいますようよろしくお願いいたします。
有難うございました。

まずは、お詫びとお礼まで。
Posted by 笑門来福 at 2010年08月03日 11:38
おそらく、良い音を出すならマナー違反ではないと思います。その昔粋とされていたのは、気持ち良い音を出していた人でしょうね。ジュルジュルチュパチュパクチャクチャ、では駄目でしょうね。良い音を出す料理人は腕も良いなんて言うけれど、そんな所と関係がある気がします。
Posted by 大分遅い返信ですが、気になったので。 at 2011年03月29日 18:48
大分遅い返信ですが、気になったので。さま

この度は、コメントを有難うございます。
「返信」とありますので…
大分遅い返信ですが、気になったので。さまは、
こちらの記事への再コメントでしょうか?
度々のご訪問についても、重ねて御礼申し上げます。
有難うございます。


>良い音を出すならマナー違反ではないと思います。
>その昔粋とされていたのは、気持ち良い音を出していた人でしょうね。

心身ともに背筋を伸ばすようにして、蕎麦の事に限らず「粋」に生きていければ…と、
努力したいと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 笑門来福 at 2011年03月31日 11:42
禅寺の作法では、蕎麦・饂飩を派手に音を立ててすすることが許されています。永平寺の和尚もHPで明言されていますよ。うどん供養という習慣もあり、蕎麦饂飩の起源は禅寺から普及していることと考え合わせると、ラジオ等問題にならぬ昔から続いていると推察できます。しかも、禅の作法は礼法の基礎にもなっている。つまり蕎麦の普及者であり作法の手本でもあった禅僧が、派手な音を立てて食べていたわけです。ラジオ起源説はいろんな誤解を招いている上、そこが起源という証拠がないのでは?もし誤解で音を立てる食べ方を非難する方が増えているなら、とても残念なことと思い書かせて頂きました。
Posted by jin at 2013年11月13日 05:41
jin さま

この度は素敵なコメントを有難うございます。

>禅寺の作法では、蕎麦・饂飩を派手に音を立ててすすることが許されています。
>永平寺の和尚もHPで明言されていますよ。

なるほどそうですか、HP是非読ませて頂きたいです。
心強いですね。
そういえば、それが「うどん供養」だったのか
以前TV番組で、檀家さんの振舞ううどんを
豪快にすする僧侶集団を見たことがあります。

jin さまの仰る通り、(“ラジオ起源説”?というのでしょうか?)
誤解が誤解を招いているようで、確かにとても残念なことですね。

本文記事中にもあげましたが
戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイスの著書「日欧文化比較」に
日本人が音を立てて食べることが書かれていますので
音はここ最近の話ではないのですが
誤解をされる方は、頑なな気持ちから聞く耳を持てない状況のようで…。

八百万の神を持つ私達の日本では
柔軟で曖昧な対応も時に良しとして、
お互いを認め合う広い心をもって紡いだ歴史があります。
ですので蕎麦の音に関しても、いろいろな考え方があって良いと
音立て×派の方々にも、是非寛容な気持ちを持っていただければなぁ、と願います。
美味しい蕎麦を、ツツ〜と手繰る幸せを放棄するなんて、勿体無い!



日本食文化がユネスコ無形文化遺産にもなろうかという時、
その独自の食文化を受け継いできた私達が、
今どう感じ、今後どう伝えてゆくか、
ちょっと考えてみるのにも、良い機会なのかもしれませんね。

蕎麦が繋いでくれた jin さまとの繋がりに、感謝します。
今後とも細く長〜〜くのお付き合いを、どうかよろしくお願いいたします。
Posted by 笑門来福 at 2013年11月14日 10:08
笑門来福様

お返事ありがとうございました。

まずはお詫びから。
「永平寺の和尚のHP」と書いてしまいましたが、正しくは「永福寺のご住職のHP」でした。
そそっかしい間違いで汗顔の至り。まことに相すみません。お詫びとともに訂正させていただきます。

そのご住職は、永平寺で修行された典座和尚で、精進料理研究家でもあります。
HPの中で、禅寺には「祝麺」という慣習があり、お祝い事の際に禅寺では、今でもそばやうどんを食べるそうで、「普段は一切食器の音やかむ音も出さないように食べる禅僧も、このときばかりは音を出すことが 許され、堂内に麺をすするおいしそうな音がズルズルッと響き渡る」と記されています。

うどん供養は今も禅寺の習慣として続いており、うどんを食べる時に限っては、盛大に音を立てて啜るのがならわし。臨済宗相国寺派総本山の相国寺には、なんと南北朝時代から、うどん供養の伝統があるそうで、NHKが「新日本風土記」で取材しています。

これらのことを知り、日本の麺類の食べ方の起源は、お坊さんたちの食べ方にあるのでは?と考えるようになりました。

そばうどんを日本に持ち込んだのは禅僧といわれていますし、製麺に欠かせない石臼は、昔は民間には普及しておらず、東大寺などの製粉技術が、うどん・素麺の普及に大きな役目を果たしたとか。小麦で繋いで蕎麦を麺にする手法も、最初に伝えられたのは東大寺です。
また、各地のそばうどんの起源を辿ると、戸隠蕎麦、善光寺蕎麦、水沢うどん、深大寺蕎麦など寺社に行き着く例が多数見つかります。讃岐うどんは空海法師なんて伝説もありますね。蕎麦饂飩が寺社(昔は両者の境界が曖昧です)から、大衆へと伝わっていったのは間違いないことと思います。

生活全般を修行ととらえ、食事の支度や頂き方にも精神性をもっていた禅僧は、食作法のお手本でした。道元禅師の『典座教訓』・『赴粥飯法』という書が、茶道や懐石料理、礼法などの原点と言われています。
蕎麦ばかりでなく、お茶の道のほうも、禅寺が起源ですね。

って偉そうに講釈してますが、自分はただのそそっかしい蕎麦好きに過ぎません。蕎麦を啜るとき気を使えって言われては大変困るんで、それで麺類の音を気にしないという習慣の原点を一生懸命調べてみたら、どうやらお坊さんが関係してるらしいと、そこに行き着いたというわけです。

何せこういうやりとりに不慣れで、いきなり肝心なこと間違えてるし、引用もどこまでがいいのか、HPのリンク先は書くべきではない?など、悩みながら書いているようなアナログ人間ですが、
これに懲りずお付き合いいただければ幸いです。
 乱筆多謝
Posted by jin at 2013年11月22日 09:39
jin さま

この度も素敵なコメントを有難うございます。

>自分はただのそそっかしい蕎麦好きに過ぎません。
>蕎麦を啜るとき気を使えって言われては大変困るんで、
>それで麺類の音を気にしないという習慣の原点を一生懸命調べてみたら、
>どうやらお坊さんが関係してるらしいと、
>そこに行き着いたというわけです。

いやいや、そそっかしいだなんてとんでもない
大好きな事について、しっかり掘り下げきちんと調べ考える。
素晴らしいと思います。頭が下がります。

jinさまのように真摯に調べ考え、まず勉強をして、
その上で、「音が好きか嫌いか」を語るのが本筋ではないかと…
私も含め、そうでなくては!そうありたい!と思います。



ところで、
そんな麺の歴史を少しまとめたページがあります。
このブログの右端にある「細く長〜く繋がるリンク」の一番最初にある
「江戸ソバリエ協会」→「特別ゼミナール寺方蕎麦研究会」のページ
と参考に上げた文章、学習会メモなどです。

そこを読むと、「寺方→町方」の流れも、ストンと腑に落ちるでしょう。
音立て×派の方々にも、宜しければ、お時間のある時などに、是非ご一読頂きたいところです。

石臼の会会員は、皆、江戸ソバリエです。
江戸ソバリエ協会が開講する「江戸ソバリエ」認定講座は、
江戸蕎麦を愛し、勉強しようという講座で
さらに深く理解するためには、江戸蕎麦の前史を学ぶ必要もあり
興味深く楽しいところでもあります。

jinさま この度は本当にありがとうございました。
是非是非今後も蕎麦のように長〜〜いお付き合いを、よろしくお願いいたします。
Posted by 笑門来福 at 2013年11月23日 09:20
にっぽん人はホント麺類が好きですね・・・
そば民族です。
Posted by 興味津々 at 2013年11月26日 19:00
興味津々さま

いつもコメントを有難うございます。
皆、麺喰いですね。
Posted by 笑門来福 at 2013年11月26日 21:07
ちょっと食べ方のルールなどを探していました。参考までにご意見を聞きたくてコメントします。「どうして日本人は麺をすすって食べるの」と外国人からよく聞かれますが、マナー、作法…という観点からいうと、正しい、悪い!などよくききます。
そういうことではなくて、文中にもあるようですが、うどんやそばは町人や農民、(僧侶?)などの生活からコメの代替食として生まれ、彼らが中心に食べていたもので、たとえば今でいうファーストフードのように、ひとりででも気軽に行ける立ち食い、スナックのような形態ではなかったのかな〜ということを思っているのです。だから、「作法」「しきたり」などより早くおいしく楽しく済ませることができればそっちが優先されたのではないか…ということについて管理人さまはどのように思われますか。一人で気兼ねなく仕事の合間やおわりに周りを気にせずちょっと寄っていく、そこでは相席はあったかもしれませんが、それぞれが自分のペースで(または気の置けない仲間と)過ごしていたのでは?ということです。しかも、すすった方が風味や味が生かされる!のでしょう。私があまり麺好きではないのでよく、この論争?にはついて行けてないのですが、今でもファーストフード店やファミレスで食べるためのしきたりとか作法とか…ないですよね…そういう風に外国の方に説明すると納得していただけるような気がするのですが…
もしよろしければまた、このあたりの考え方がいい方を向いているか否か…、返コメントいただけると嬉しいです<(_ _)>よろしくお願いします
Posted by ふくおかん at 2014年10月24日 01:41
ふくおかん さま

この度は、コメントを有難うございます。
ふくおかんさまが、麺好きではないと言いながらも、
蕎麦を、「作法」うんぬんよりまず先に
美味しく楽しんで(1人でも仲間とでも)食べていらっしゃるように感じられ
嬉しいコメントでした。
どんな食物でも、本来「食べる」楽しみは、きっとそこにあると思います。
美味しく楽しく食べてこそ、栄養摂取率も上がるそうですね。

さてお尋ねの件
長くなりましたが、あれこれ思い巡らせましたので書かせてください。

>ひとりででも気軽に行ける立ち食い、
>スナックのような形態ではなかったのかな〜ということを思っているのです。
>だから、「作法」「しきたり」などより早くおいしく楽しく済ませることができれば
>そっちが優先されたのではないか

との事、
私個人としては、「どうかなぁ???」と、少し疑問に思うところもありました。


つまりそれは、
「気軽な気持ちで麺類を食べられるような状況になったのは、
すする習慣ができあがった後」、だと私は推測するからです。
そのずっと以前に、
啜る音が「作法に反するものではない」という価値観があり
ゆっくりとした時にも、礼儀正しく、正当に?きちんと
(妙な言い方ですみません)啜っていたのではないかと思うのです。
(※いつから啜っていたのかを書いた文献は知りません。
 というか、多分そんな文献は見つから無いのではないかと。)

ソバや小麦の実、つまり粒を、
粒のまま食べていた(奈良・平安か)歴史を通って、
次に臼で挽いて(鎌倉頃に臼は日本各地へ)粉にする段取りがあって
それを製麺する技術の確立(室町、足利の頃か)があります。

麺を食べられるようになった当初、作られた麺は、
今で言う気軽な場所では食べられませんでした。

文献によれば、
文化伝達の重要な役割を果たしたと思わる最高学府?でもある寺などが
持成しの場で蕎麦を振る舞っています。
或いは、身分の高い人達の集まり(茶会など)で蕎麦が登場しています。
つまり、今で言うフルコースの最後に蕎麦切り(麺)を出していますから
手間暇を掛けたここ一番のご馳走なわけです。
(自分で石臼を挽くと、1人前の蕎麦を作るのも、なかなか大変だと実感します)
檀家などの一般人に振舞われる場合でも、それは何か特別な日の特別な食事です。
つまり、催事のご馳走とでもいいましょうか。
(今も習慣として、大晦日に蕎麦を食べる。
御節句の時に食べる。引っ越しの時に…など、
 特別な時の蕎麦食がありますね。)

この流れを踏まえて想像するに
私のような小心者は特にですが、
特別な食事を頂くときには、非礼のないように…と畏まって、
「作法」「しきたり」に沿って食事を進めるものです。

記事本文内容と一部重複しますが参考までに、
時の権力者に謁見をゆるされたような宣教師フロイスが、
著書「日欧文化比較」で、
「われわれの間では口で大きな音を立てて食事をしたり、
葡萄酒を一適も残さず飲み干したりすることは
卑しい振る舞いとされている。
日本人たちの間ではそのどちらのことも
礼儀正しいことだと思われている」と(戦国時代)書いています。

つまり、
江戸以前から、それなりの「公」の場所で
ゆっくりとした食事のなかで、礼儀正しく
音を立てて蕎麦を手繰っていた。
それを、「作法」に外れるとも思っていなかった。
と私は考えます。

時代が下って商いとしての蕎麦屋が登場し、
軒数が増え、庶民が気軽に蕎麦を手繰れるようになって、
切磋琢磨し洗練された単品料理としても楽しめるようになった
江戸の蕎麦をスマートに手繰ることが、江戸っ子の美意識と重なり、
或いは「啜り技?」に磨きがかかった?というような事は、
あるのかもしれません。
「早く」「気楽に」見えることが「粋」だったかどうかは、わかりませんが
男性単身者が多かったという事情もあって、そのスタイルも好都合だったハズです。

明治14年初演の歌舞伎『雪暮夜入谷畦道』(時代設定は江戸)では、
主人公直次郎がそばを啜る姿が、見せ場でもあるわけで
啜る行為が当時の人を不快にさせるのなら、この演目は成り立ちません。
きっと価値観として、「◎」と共通の認識が続いていたのだと想像するのです。

だからもし、外国の方々に「何故啜るの?」と聞かれたら
「貴方は、何故啜らないの? 日本では、麺を啜る事が不作法と考えていませんでした。」と答えたいなぁと思います。
最近は、日本の「ラーメン」の認知度が国際的にもとても高く
誇るべきこれら麺文化のお陰で、啜る行為も徐々に世界に知られるようになりました。
嬉しく有難い事です。


以上は、石臼の会ブログ管理人・笑門来福 個人の考えです。
石臼の会ブログでは、管理人である私の妄想が
時に、迷走し行き過ぎる事も有りますが、
(他多くの会員の方は、とてもバランスの取れた
本道の勉強をなさっています。)
ここで色々な意見の方々と双方向に情報交換できれば、
更に楽しい蕎麦のご縁が繋がると信じて、自説を書かせて頂きました。
その辺り御含みおきいただき、読んでいただければ幸いです。

ふくおかんさまが、今後も蕎麦や石臼の会ブログを
楽しんでくださることを願っております。
有難うございました。
Posted by 笑門来福 at 2014年10月24日 06:32
丁寧なお返事ありがとうございました。時代的にそばや麦はもっと古かったということがよく分かりました。製麺の技術の進歩と人々の暮らしの中ではぐくまれた食文化史がよくわかりました。
また、説明としても納得のいくものでした。ありがとうございます<(_ _)>
Posted by ふくおかん at 2014年10月30日 11:39
ふくおかんさま

この度は、再度のコメントを有難うございます。
また、私の纏まりの無いダラダラ身勝手なコメントにも
お付き合い頂き有難うございました。
重ねて、心より感謝します。

蕎麦についての勉強は勿論の事、
なんとか短く簡潔に書けるよう文章の修練も心掛けたいと思います。
どうかこれに懲りず、今後もよろしくお付き合いください。
有難うございました。
Posted by 笑門来福 at 2014年10月31日 15:42
んっ!?
ラーメンを啜るのが作法なの?

何か文献にでも書いてありましたか?

まぁ私は音を立てる事を不快に思う人がいるなら、作法云々よりも礼儀として音を立てずに食べてます。

だって食べてる時に横で犬食いしてるのが目に入るのは嫌ですし、屁をこかれるのも嫌ですから。

五感に関わる事を赤の他人がしているのを感じるのは嫌ですよね?
Posted by まんつ at 2015年08月18日 22:28
まんつさま

この度は、コメント有難うございます。
まんつさまのお気持ちは分かりました。

>ラーメンを啜るのが作法なの?

恐縮ですが、私は、
ラーメンについてそれが作法かどうか分かりません。
蕎麦については、それが作法ではないものの、
本文中に書いた内容の通りの理由で、許されるものであったら嬉しいと思います。
Posted by 笑門来福 at 2015年08月19日 08:18
今回の記事を拝見させていただきました。改めて考えてみますと、やはり蕎麦(風味)もうどん(喉ごし(私は讃岐出身です))もラーメン(冷めないうちに食べる)も、「すするのが一番美味しく食べる方法」なんだろうなと感じました。
ですので私はせっかくの食事を美味しく食べるためにも今後もすすっていこうと思います。作ってくれた方もそんなこと望んでないでしょうし。

ところで礼儀や作法云々言ってる人ほど言葉使いがなってない礼儀知らずな人ばかりなのが滑稽でした。ネットではそういう心無い人もおられますがお気になさらず今後も活動を続けていただければと思います。
Posted by 通りすがりの名無し at 2015年09月23日 01:05
通りすがりの名無し さま

この度はコメントを有難うございます。

>ですので私はせっかくの食事を美味しく食べるためにも
>今後もすすっていこうと思います。
>作ってくれた方もそんなこと望んでないでしょうし。

本当にそうですね。
感謝の気持ちを持って、台無しにすることなくきちんと美味しく食べてこそ、
心を砕いて一生懸命作ってくださった方も喜んでくださると思います。

頂く者の嬉しさと、作る者(ソバを畑で育てる人・それを製粉する人・打つ人など)の嬉しさが重なって、
食を通じた好循環・良いコミュニケーションが生まれるということは、
食べ物を大切に思う人同士が繋がる、幸せで素敵なことだと感じています。

今後ともどうぞよろしくお願いします。


Posted by 笑門来福 at 2015年09月23日 08:08
すする音そのものが下品な響きだ。がっついていて行儀も悪い。テレビの影響で肯定派が多いんだと思う。女優やアイドルなどでもすすり音を立てる演出をしないといけない風潮があるため、みんながみんなやるもんだと思ってる。だけど、現実はそうでない。
Posted by すすり音撲滅派 at 2016年11月20日 11:40
がっついてるわけではなく、のんびり食べていたら蕎麦が伸びたり、乾いたりしてしまうから
テレビの影響って、嫌な音だったら真似しないでしょ
テレビが登場するはるか以前から、定着している習慣なのは、ここでもいくつも根拠が示されている
蕎麦ではないけど、
正式な茶道の作法にも、「吸い切り」といって、「ズッー」と音を立ててお茶を飲む型がある
日本人は、そうした音を「下品」とは捉えていなかった証拠
Posted by jin at 2016年11月25日 03:40
すすり音撲滅派さま

この度はコメントを有難うございます。

この記事と、頂いたコメントをすべて読むと、既に
音は「ラジオの所為だ」というラジオ説が話題に上がっておりました。

>テレビの影響で肯定派が多いんだと思う。
すすり音撲滅派さまは、「テレビの影響」とのご説。

ラジオ説→テレビ説→ひょっとして次はネット説?
となるのでしょうか。
これらの説に対する私の理解している蕎麦の歴史の事を返信とすると、
繰り返し同じことを書くことになってしまうので、
今までの遣り取りを、読んでいただければ幸いです。

それでも尚の、音を撲滅したいとのお気持ちがあっても
私としては、「少しの音は、どうかご容赦ください」と繰り返し願うばかりです…。
どうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 笑門来福 at 2016年11月27日 11:20
jin さま

この度もコメントを有難うございます。
またいつも石臼の会ブログにお目通しくださり、
本当に有難うございます。

jin さまのように知識の研鑽を厭わない方が、
このブログを読んでいてくださると思うと、
身の引き締まる思いです。

今後ともどうぞよろしくご指導ください。
まずは、お礼まで。
Posted by 笑門来福 at 2016年11月27日 11:59
でも音立てるのは蕎麦屋だけにして欲しい
(周りの人も音を立ててる状況)
例えば会社の休憩中一人でズズズやっているのは
やはり不快です
Posted by 000 at 2017年10月03日 12:43
000さま

この度はコメントを有難うございます。
お気持ち読ませて頂きました。


>例えば会社の休憩中一人でズズズやっているのは
>やはり不快です

そうですか…。
一生懸命働いて、一息つく時に蕎麦を一人手繰っている。
その情景を思い浮かべるだけで、胸が熱くなり
「おつかれさまです。」と言いたくなります。

蕎麦でひと時癒されているんですね、きっと。
特にそんな時は、好きに食べさせてあげてくださいませよ。

オノ・ヨーコとジョン・レノンではありませんが
「NO」で続くのでなく「YES」で繋がる
寛容な社会を「イマジン」したいと思っていますが
「少しの音」を許してくださいませんか、どうかどうかお願いします。
Posted by 笑門来福 at 2017年10月25日 11:00
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