平成24年7月28日(土)、「第5回千葉県そば大学講座」が開催された。(主催:千葉手打ち蕎麦の会、協賛:千葉県そば推進協議会、後援:全国麺類文化地域間交流推進協議会・千葉県教育庁・習志野市教育委員会・日本大学生産工学部)酷暑の中、蕎麦フリーク200余名が、日本大学生産工学部・津田沼キャンパスに集結し、統一テーマ「そばを学ぶ」に沿って一日蕎麦講座に浸った。
■■そば打ちは創造である
■■東北学院大学教授 石川文康氏
私たち蕎麦好きで、講師石川文康先生を、多数の蕎麦関連書物の著者として、また蕎麦研究会の主宰者として、そのご高名を知らないものはいない。今回この講座を受講し、大変失礼ながら「あっ!そうだ。そういえば、哲学者だったんだ」とカント研究の第一人者である事を、今更ながら思い出した。
そば打ちが「創造」であること。そして、その「意味すること」を格調高く哲学的に説いた90分は、私たちにとって耳に優しい心地の良い内容で、ちょっとコソバユイ気持ちにもなった。講義中あげられた事例の幾つかは、既に仲間内で体感し、周知のことではあったけれど、こうして哲学者から大義名分を授かったからには、益々大手を振って蕎麦打ちにのめり込む者が続出することだろう。
■■そばの科学に学ぶ
■■手打ちそば研究家 熊田 鴻氏
尚、講師熊田先生のHP「蕎麦打ちの科学」へは、この石臼の会ブログ右脇に常設リンクをはっている。そのなかの「資料室」というカテゴリから、当日の講演資料(PDFファイル)を読むことができる。
■■プロのそば打ちに学ぶ
■■磐梯そば道場主宰 長谷川 徹氏
今回の、福島で名人の名を欲しい侭にしている長谷川先生は、「会津の丸のし」を、巧みな話術とともに見せてくださった。
この日匠の用意した「会津のかおり」1kgを、43%の加水で手早く水回し、まとめ上げる。
丸だししたそれからが、なんと!なんと!なんと!である。
ペタンと中央に貼り付けたところ
長谷川先生の説明では、「この方法は、保科正之つながりで、高遠→会津に伝わったもの。今でも信州の一部地域のおばあちゃん達もやっている。寒い外で打つことも多かったから、寒風で外周がひび割れるのに対応して編み出した工夫だ。」と。
なんと!初めて見た打ち方である。高遠→山形→会津とお国替えした名君 保科正之・・・なのだから、高遠の次の赴任地である山形はどうなのかと、どうしても気になる。この6月に見学した山形「庄司屋」の打ち方は、普通の丸のしであったけれど。山形のどこかに残っているかもしれない。どうなんだ?
私の驚きを置いて、更に作業はすすみ、まさに「打つ」という言葉の通り、ダイナミックにトントンと打ちつけるように音をさせて、麺帯を巻きつけた麺棒(直径4cm・長さ120cm)を操る。
丸くのしたものを、難しいたたみ方で畳んで、土手の形が特徴的な“会津のこま板”を使って、スイスイとリズミカルに切る。美しく製麺されたものは、舟に縦に重ねて並べる。終了。
手際の良いアッという間の時間に、何度「あっ!えっ!」と言ったことか。まぁ〜なんと、いろいろな打ち方があるものだ。だから、益々蕎麦打ちって面白い。
■■蕎麦料理に学ぶ
■■永山塾主宰 永山 寛康氏
お腹がグゥ〜と鳴ってしまいそうな、美味しそうなお話は、とても素晴らしく楽しかったし、レジュメに、多くの解説やレシピも親切に開示してあり、とても参考になった。…のだけれど、そこはソレ、やはりプロの修行をした者が作れる、技と込みになったキリリと洗練された料理であるからして、90分受講しただけでは、とても解説通りに作れそうにはない。何か一つ位は出来る様になりたいと思うものの、まだまだ蕎麦打ちの下手糞な私は、蕎麦料理実践となれば敷居も高く「へぇ〜、そうやって作っているんだ」「難しそうだなぁ、凄いなぁ」と言うのが正直なところ。お客さんとして、蕎麦屋さんを味わい楽しむ為の嗜みとして、今は覚えておいて、いつか?もぅ少し蕎麦打ちが上達したら、実践チャレンジしたい。
十字屋仙台店は、数年前に撤退しており、その店も今はありません。
笑門来福さんの推理は当たっていたようですね。
手元に資料がないので、うろ覚えで書いてしまいました。山都町は、山形県ではなく福島県でした。申し訳ありません。
山都町は、今では喜多方市に合併しているようですが、山形県には隣接しているようです。
こちらこそ、ご無沙汰しております。
酷暑が続きますが、お元気ですか。お変わりありませんか。
この度は、コメント&貴重な情報を有難うございます。
>通路に面した打ち台で打っていたのが、
>まさに大きな丸く延した麺の端を切り取り、
>真ん中にペタンと張る方法でした。
たけじんさんも、このペタンとはる方法を御覧になったのですね。
流石、日本全国を飛び回っていらっしゃるたけじんさんは、
諸国の風物を実際にいろいろとご覧になっていますね。
羨ましいです。
今回私は、ラッキーな事に手近な千葉で見る機会に恵まれましたが、
これがなかったら、一生知らずに終わったでしょう。
それにしても、
江戸流を見慣れている者にとって、この「のし方」は、とても印象に残りますね。
たけじんさんは、初めて見た時に仰天しませんでしたか?
「ひび割れなんて、絶対許さない」という具合に麺体を扱って
のした後も、つるつるピカピカに艶のある出来上がりだったのにも
感心してしまいました。
>山都町は、今では喜多方市に合併しているようですが、
>山形県には隣接しているようです。
有難うございます。
教えて頂きました福島県喜多方市山都町のことを検索してみましたら
観光協会のページがでてきて、中の「そば情報」に「会津の真打ちそばの里」と。
http://www.town.yamato.fukushima.jp/
どうも山都町の蕎麦はは、会津蕎麦のカテゴリに入るようです。
山形県にもこの方式が残っていたら面白いなぁ〜と、私は安直に思ったのですが、
長谷川先生の言った通り、保科正行繋がりだとしても
保科公は、高遠藩には、幼少期から25歳位まで。
出羽山形藩にいたのは、たったの7年間位らしく、
あとは、会津藩(子孫はここでずっと。)と江戸で将軍の側に仕えたから…。
もしかしたら、山形の打ち方には影響が少ないかも…と、思うようにもなりましたし…。
それに、どうやら山形藩は、
藩主家の頻繁な交代に伴い、山形藩領の領地も入り組み・分散し、一定しなかったらしいので
隣接する地域も、今の何県の何町なのか…
私には、保科正之公当時の藩境が、今のどこなのか良く分からず…でして…です。
ともあれ、
「端っこを丸く切り取って、ペタン」を見た衝撃を忘れずに、
記憶に残しておいて、気長に調べてみます。
今後も何か情報がありましたら、是非教えてください。
どうぞよろしくお願い致します。
有難うございました。
かつての友達と再会して
「あの先生、どーしんての?」
どぐくったら出てきました。
石川(先生)の髪形、あんときのままですね。
この度は、コメントを有難うございます。
単位を貰えなかった事は、辛いことだったでしょう。
でも、素晴らしい先生に出会った事は、その後の糧となりますね。
石川文康先生の髪型は、カントを意識したものだと何かで読みました。
本当かどうか、先生に確かめることはできませんでしたが、
先生の語り口が、蕎麦への愛情に満ち溢れており
その髪型や風貌も一緒に、私は親しみを感じておりました。
天国でも熱心に蕎麦を打っていらっしゃるのではないかと思います。