2011年07月12日

温  故  知  新
〜日本銀行本店本館(旧館)を訪ねて〜

日本銀行本店本館の見学が、7月からは節電のため休止となる6月最後の日、暑い日の昼、日本橋にある「日本銀行本店」を「石臼の会」有志8名で訪問いたしました。 


日銀見学会集合写真.JPG
 本館玄関前にて  
       

この見学のきっかけは、今は亡き石臼の会会員三田尚廣さん(江戸東京ガイドの会)から紹介され、かねてから見学の機会を図っておりました。
 


日本銀行本店は本館(旧館)、新館、南分館(貨幣博物館)と3棟ありますが今回の見学は本館(旧館)をメインとし、自由時間で貨幣博物館も訪ねました。本館は赤坂の迎賓館と並ぶ傑作と言われ国の重要文化財に指定されている建物と伺っていましたので、その歴史やかかわった人物に興味をもっておりました。後日、ブログ担当の笑門来福さんから見学記の投稿要請がありました。お断りもできず、私の感じたことを投稿させて頂くことにしました。拙い文章・表現は何卒ご容赦のほどを。





日本銀行本店の歴史
日本銀行本店は日本橋・箱崎にあった「旧北海道開拓使物産売捌所」の建物を政府から借用した仮店舗で明治15年に開業しました。 


交差点から臨む日本銀行本館.jpg



日本銀行本店の移転場所
現在の日本橋にある本店本館は、江戸時代の「金座」があった場所で、大蔵省や紙幣寮(国立印刷局)に近かったことでこの地に移ったそうです。明治18年から19年にかけ三井組(当時)などから土地約5300坪を購入しております。    


本館の設計
当時建築学界の第一人者であった辰野金吾が本館の設計のため明治21年から欧米に出張し各国中央銀行の建物、特に日本銀行の諸制度の参考となったベルギー中央銀行をつぶさに研究し、新本店のモデルとしたと言われております。明治22年に帰国し日本銀行に提出した設計図はわが国初の本格洋風石造建築でした。

しかし、建築予算を大幅に超えていたため日本銀行内外で大議論になる中、時の川田総裁(第三代)は明治23年の株主総会で「この建物は日本銀行の永久拠点となるものであり特に『金庫は数百千万の金銀財宝を蓄積する』ところであるから世評にかかわらず、姑息に流れず、将来の発展を思い、堅牢、広壮なものを造ることをご理解いただきたい。予算が100万円なればこそ設計に辰野を採用した」として政府と株主総会の承認を取り付け、総工事費80万円(最終的には112
万円)の工事がスタートしました。(当時の100万円は現在ではいくら位か訊ねました処、基準にするものが多々あって公表していないとの回答でした)


本館の建設工事
工事は明治23年(18909月に始まり、当初完成予定は明治26年(1893)末でしたが、建物がすべて完成したのは明治29(1896)2月で2年以上遅れました。遅れた理由が2つありました。

1つは明治24(1891)の濃尾大地震が起きたことで、急遽、石積み壁を薄くしたり、ドームの背を低くする耐震強化の設計変更があり1年ほど工事が延長されました。

もう1つは、明治27(1894)に日清戦争が勃発し、これによって職人や建築資材の調達が困難になり1年以上の工期延長を余儀なくされました。このときの「建築事務主任」には、後に日本銀行総裁となる高橋是清が任命されておりましたが工期進捗のためのエピソードが残されています。工区を4箇所に分け、別々の親方に請け負わせ、期日までに完成した者に賞金を、遅延した者には罰金を科したところ、みるみる進捗したとの事でした。



本館の落成式
あしかけ7年の大工事の落成式を明治29(1896)322日に迎えました。当日まで高い板塀で隠し一夜でこれを取り除くと、3階建ての白い花崗岩のまぶしさとその威容に2000人を超える来賓は感嘆の声を上げたといわれます。




感 想
先ず本館(旧館)の玄関に入って感じたことは当時の建物が今日まで良く維持保存されてきていることに感心しました。また、最も興味を誘われたのは地下の大金庫、扉の厚さが90cm、重さ25トン、アメリカ製で関東大震災にもビクともしなかったそうです。 


当時のセキュリティーシステムに驚きです、金庫室内の壁上部にある数個の穴の用途を質問したところ、泥棒が入ったら日本橋川の水を金庫室に注入し水責めにするための穴、と聞いて感心してしまいました! 


また、赤じゅうたん廊下の白い壁の両側には初代からの総裁の巨大な油絵の肖像画が掛けられており圧巻でした。初代総裁は薩摩藩士、そして三菱創始者の土佐藩・岩崎弥太郎の弟、弥之介の絵もあり明治維新の空気が肌に伝わってきます。あの高橋是清も並んでいます。すべての総裁の絵は室内を背景として描かれている中、終戦の年昭和20年代の渋沢総裁だけは東京大空襲の焼け野原を背景に描かれております。必ず復興して見せるとの決意を後世に残したかった気持ちが伝わってくるようです。 


明治10年の西南戦争の直後、必要に迫られ「日本銀行」が開業しましたが、日本銀行本店本館の建設にあたっては、財政上の課題、濃尾大地震、更に日清戦争などと大きな壁に遭遇しつつも川田総裁、高橋是清総裁など時のリーダーが近代日本建設の高い理想と情熱を抱き、政府、国民に大きな展望を持って説得し、正に強いリーダーシップにより、関東大震災や、東京大空襲にも耐えた堅牢な建物や大金庫が完成し、今日まで存続していることを強く印象ずけられました。 


ひるがえって、今日の世相を見ますと、大震災後の復興・復旧が4ヶ月たっても進まない有様、更に原子力発電所被災の後処理と今後の運用計画はどうして行くのか等など、緊急の課題が山積していますが、今、正に強いリーダーシップが求められています。 


明治維新後、高い理想と熱い情熱をもって近代日本建設に注いだ往時の強いリーダーの存在を振り返る時、今はただ強いリーダーの不在を嘆くだけでなく国民一人ひとりが政治に関心を強くして政治家を育て、選ぶ眼を肥やす努力から始めなければいけない、などと、思いを新たにした見学会でした。 


               
 記: sirius



    ぴかぴか(新しい)この日この後の蕎麦屋 室町「紅葉川」訪問記へ





posted by 石臼の会会員 at 13:27| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | ■「雑記帳」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
sirius さま

この度の見学ツアーでも、
事前調整申し込み手続きから始まり、当日は勿論の事、最後の見学記までも、
優しく細やかな配慮お気遣いを、有難うございました。

寄稿してくださった見学記を読んで、
「そうそう、そうだった」「あっ、そこは、そういう事だったのか!」と、
当日のほほんと通り過ぎたところも、あらためてまた勉強になりました。
いつも本当に有難うございます。

堅牢で瀟洒な石造りの洋館に、
泥棒を水没させてしまうカラクリが隠されていた事も、驚きでしたね。
滅多にこんな機会はありません。
いやぁ〜本当に貴重な所を見学させて頂き、とてもとても面白かったです。

三田さまも天国から、ニコニコと御覧になっていた事と思います。


Posted by 笑門来福 at 2011年07月13日 07:34
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