2010年06月08日

天保蕎麦@愚直庵

ある日、嬉しいお誘いを頂いた。「天保蕎麦を食べる会を、愚直庵で開催致します。いかがですか?」
何をおいても、それはもぅ「ハイッ!是非、参加させてください!」と、日時も聞かぬうちから即答してしまった。



ということながら…まず、
この素敵な企画をブログ記事にするにあたって、読んで下さる方に念のために2つの説明をしておきたいと思う。



その1.愚直庵とは?

 

愚直庵とは、江戸ソバリエ仲間のIさまが、とある場所に開設した蕎麦打ちサロンである。

そこは、「一見さんお断り」仲間うちを対象としたサロンであることから、江戸ソバリエの蕎麦打ち場・教室などを紹介しているこのブログの当該ページには、庵主の要望もあり載せていない。しかし、サロンオープンのご連絡を頂いてから、いつまで経っても蕎麦打ちが下手糞な私にとって、夢のような是非是非伺ってみたい憧れの場所であった。

 ソバ粉は勿論のこと、庵主自身で作り上げた組立可動式の蕎麦打ち台や、出来上がった麺を茹でるのに使いやすい大鍋、大きな熱量のコンロ 鉢 麺棒など蕎麦打ち道具一式が全て揃っており、エプロンなど身支度さえ整えば手ぶらで行って蕎麦打ちを楽しむことができる。試食スペースである奥の和室には、あれこれ蕎麦前の持ち込みもOKとのことで、庵主Iさまのお人柄も相まって、ゆっくり寛げる素敵なサロンだ。


 今回は、特別な企画ということで、普段は入る事の出来ないIさまの秘密基地?囲炉裏の間へもお邪魔してしまった。素敵な自在鉤 (じざいかぎ・囲炉裏の上に鍋や瓶などをぶら下げるフックのような…アレです。)を入手した経緯や、いろいろなご縁を感じる調度品一つ一つ、流木をつかって作った麺棒置きやオブジェ、釘一本に至るまで楽しんで作り上げた温もりが、そこここから感じられる。それらをニコニコと支える奥さまの縁の下の力が、ほのぼのと伝わってきて、とても素敵だ。




その2.天保蕎麦とは?

 199812月 福島県の大熊町大川原地区にある旧家 横川家で、家を新築するにあたり母屋を取り壊すと、天井裏から小さな6俵の俵がでてきた。多重構造に工夫されたその俵と俵の隙間には、木炭と炭の粉が入れられ、一番内側に茶褐色〜黒色になったソバの実がぎっしりと詰められていたという。それは、“天保の大飢饉(江戸四代飢饉の一つで、特に1835年〜1837年は大凶作となり、東北地方は他地域にもまして被害が大きかった)”の時に、冷害凶作にみまわれた苦しんだ五代前の先祖 横川助治郎さんが、子孫のために残した物だという。


 そんな俵を発見し、「先祖の残したソバに、花を咲かせたい」と願った現当主、そしてそのソバの実を管理する事になった福島県製麺協同組合青年部は、発見された天保時代のソバの実を、国や大学の専門研究機関などにその由来を添え送り、発芽実験を依頼した。しかし相談された殆どの機関では「すべての種子で、胚は既に発芽活性を喪失しており、発芽成長する能力は無い」と結論を出すに至る。


 

そんな中、山形県・鈴木製粉所 先代の鈴木彦市さん(当時社長)を中心とした有志が、それまでの経緯・失敗に終わった実験方法を踏まえ、昔ながら農家に伝わる栽培法や言い伝えを参考に、発芽実験に取り掛かる。試行錯誤し苦労の末、160年余り眠り続けていたソバの実の発芽・栽培に見事成功した。そこで、「天保そば保存会」を立ち上げ、原種を他の品種と交雑しないよう山形県酒田市沖の「飛島に約20アールの畑を作り、種子を採取することができた。やがて山形市内や西蔵王、月山山麓へと耕地を広げ、今では毎年試食会を開催したり、「天保そば提供店」では、期間限定数量限定ながら、店頭で販売できるまでの収量を確保するまでになったのである。

 試食会に参加された方の言葉によれば、「天保そばの特徴は、香りの高さと深い甘み」という。


 
     
関連サイトリンク

          鈴木製粉HP

    ■片山虎之介さんの「SOBAweb」当該ページへ  
 
           山形県県庁HP 当該ページへ

 

 天保蕎麦乾麺.jpg





ということで、
この度、天保蕎麦乾麺で入手した方が、「天保蕎麦を食べる会@愚直庵」を企画してくださったのである。



更に、とてもとても洒落ていて素敵だったのは、企画世話人始め 参加者がこの日のテーマにちなんで山形由来の料理、ソバの調理法、食材(不肖 笑門来福も(^_^;)…一応)で、大いに会を楽しめたことだ。なんという せ るんるん






蕎麦前

 


酒.jpg




まず、グビッと 
   
グビグビっと
  厳選数種類のビール。


そして、
山形県 高木酒造「朝日鷹」

高木酒造の代表銘柄?「十四代」に並ぶ美味しさに参加者一同顔を見合わせ、思わずにっこり頷く。





  もぅ、頂いた順番は…分からなくなり…。

漬物.jpg

   



山形の漬け物       
山形では、しばしば、蕎麦とセットで食べるそうだ。







山形郷土料理.jpg



左上:
山形名物玉こんにゃく

右: 発芽ソバの実の入った「そば米サラダ」

左下:山形の芋煮物  







 
  囲炉裏の上.jpg

囲炉裏に整えた椿の炭で、串に刺して焼いたものは…
イワナ・ヤマメ・子持ちアユ・烏賊くちばし新潟県関川村のしいたけ・蕎麦団子…。
ガスバーナーで焼いたものは…〆鯖。

 山形の山菜(わらび)、ピータン豆腐、カシューナッツまだまだあったようなぁ…。
ともあれ、いろいろいろいろ食べて随分と飲みましたぁ。


 



〆蕎麦

いよいよいよいよ〆蕎麦。どの蕎麦も山形の調理法方法だ。
天保蕎麦の乾麺村山蕎麦の乾麺、当日、愚直庵で参加者が打った来迎寺在来種の蕎麦を使用。)

omi.jpg






 
   おみ漬けそば
村山蕎麦の乾麺






げそ天つきもりそば.jpg
  
ゲソ天つきもりそば
天保蕎麦の乾麺

解説していただいたところによると
バリバリのゲソ天をつゆに浸してやわらかくし、その油がしみ出したところに蕎麦を付けて食べる。どこかの店が揚げたてのゲソ天を出したところ評判となったのが初めだとか。

→東京の立喰い蕎麦屋と異なり大半は揚げたてが出される。







肉そば.jpg

 ()そば
(手打ち蕎麦・来迎寺在来種

解説していただいたところによると
「丼に入った形の冷たい鳥そば」
山形では、肉と言ったら「鶏」だそうで、元々は卵を産めなくなった廃鶏肉の活用で、昭和20年代後半に生まれたらしい。


 →従って、ややぼそぼそとした鶏肉。通常のものを「肉そば」鶏肉大盛りのものを「鶏そば」と呼んだ店があった。




   
ということで、どの蕎麦も甲乙つけがたく美味しい。
天保蕎麦は乾麺だった為もあり?他の種類のソバとの大きな香味の違いは、分からなかった。しかし、気分は170年余りを一っ飛びして江戸天保年間へ。大切な人・家族を飢えさせまいとした気持ち。家族の幸せを思う気持ちは、今も昔も変わらない。この日、日頃お会いできない江戸ソバリエの奥さまやご家族とお話する機会も得て、温かいなぁ〜有難いなぁ〜素敵だなぁ〜と、家族の有り難さを強く強く感じた一日だった。




おまけの蕎麦後
■    そばぁ〜と
蕎麦後.jpg
  

美味しい珈琲と、メロン&さくらんぼ
(あぁ、蕎麦団子が不出来だった為に、前日いっぱいかかってコトコトと煮た添えの粒あんを出し忘れたぁ…。)



私は別腹を用途に応じて幾つか絶えず携帯している(誰?三段腹と言ったのは?)が、どの別腹も、もぅ大満足。ご馳走さまでした。

企画世話人のmさま、愚直庵Iさま&奥さま、そしてGrand Tさま hさま、参加者の皆みなさまに、感謝の気持ちでいっぱいです。有難うございました。

posted by 笑門来福 at 06:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ■「耳学」いろいろと薀蓄を | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック