T、はじめに
「くくり」というやまと言葉を考察するにあたって、あらかじめやまと言葉の特徴と、手打ちそばは江戸流を基本にして、その生まれ育った江戸時代から現代((いま)にいたる、時代背景を大雑把に観ておきたい。
私たちがいま使っている日本語は、いわば江戸時代まで使われていたやまと言葉に、明治維新以降(明治20年代ころ)西周(にしあまね)によって西欧の横文字を漢字に翻訳した新しい日本語(たとえば、文字、文章、哲学、科学、思想、主観、客観、分析、等々はその一例である)、意味の変化した語あるいは世相を反映した語等が大量に加わったものといえる。
「くくり」と同じ江戸時代までのやまと言葉について概観してみると、言葉には事の端(コトのハ)という意味があり、事に重きをおいているようである。たとえば、日常使っている言葉「もの、こと」を取り上げてみると。「もの」は、原理、原則、不変化のことをいい。「こと」は、物質性、現象性、一回性、非原則のことをいう。具体例をあげれば「人生はむなしいモノ」というが、「人生はむなしいコト」とはいわない。また日常の会話でも「何と馬鹿げたコトをしでかしたモノだろう」というが、「何と馬鹿げたモノをしでかしたコトだろう」とはいわない。この「こと、もの」という言葉について、広島大学名誉教授の荒木博之氏は『目にみえないものごとの背景にある真実が「もの」、目にみえた事実、現れたもの、目の前で起こった現象が「こと」といえる。』と定義している。そして今はこの説が定説となっているようだ。
また、ものごとに対する考え方(観方)を、西欧と日本(人)で対比しその概念を大まかに捉えてみると、論理と分析の西欧に対し非論理と総合の日本といっていいのではないか。本居宣長の言葉に『ものごとの道理を、分析と論理つまり言葉でとらえようとすると、言葉にならない本当の大事を見失ってしまうのではないか』とある。日本人のものの考え方に対する大事な指摘である。同じようなことが禅宗の言葉「不立(ふりゅう)文字(もんじ)」(簡単にいえば「悟りの内容は、文字や言語で伝えられるものではなく、師の心から弟子の心へ直接伝えられる、以心伝心の境地」という意味)である。このように古くから日本人の血の中には、どちらかといえば情緒性を重んじ、非論理と総合の考え方を大切にする伝統が流れており、このことがやまと言葉(コトのハ)の特徴となっているのだろう。
かなり乱暴な切り口ではあるが時代的な流れを概観すると、江戸流の手打ちそばが生まれ育った江戸時代も時の流れにしたがって、やがて明治維新を迎え文明開化の洗礼をうけるのである。このことを端的にいえば、日本が西欧的近代化を実現するために江戸をいかに払拭するか。ということであり、江戸の全面的否定を基調にした西欧文明の盲目的な受け入れだったといって過言ではないだろう。こうした明治時代も時が流れて大正期を迎えるころになると、考え方にも若干余裕を見出すようになった。江戸が回顧趣味的に理解されはじめ、しだいに江戸を客観視する風潮が芽生えはじめるのである。また、学問の対象とするようにもなってきた。そば打ちの方も文明開化がもたらした技術革新や経済発展によって、機械打ちが当たり前の時代へと移行しはじめたのである。が、それもつかのま、戦争の激流に巻き込まれてしまい江戸時代をすっかり忘れてしまったのが昭和前期だろう。やがて歴史的な敗戦によって民主主義に洗脳されながらも、落ち着きを取り戻した人々の脳裡からは江戸回帰の危惧も消し去り、さらに進んで現代((いま)では、江戸を理解し再評価して江戸に即した江戸を考えよう。つまり総合的・立体的に江戸を理解しようとする動きが活発になってきたといえる。
このような背景を踏まえ、古くから使われてきたやまと言葉「くくり(括り)」を、一般的な意味については国語辞典に、そば打ちでの使われ方についてはそば打ちの専門書や教本や入門書に、各々尋ねてみることにした。
U、国語辞典とそばの事典に聞く
1、一般的には「話はこのへんでしめくくり・・・・。」というような使い方をする。「くくり」の意味は、「大字源」(角川書店)によると、『「括」の常用音訓はカツ。読みはくくる。『くくる、しばる、たばねる、むすぶ、まとめる、つつむ(ひとまとめにする)、しめくくる(話をしめくくる)、とりしまる((法や決まりで縛る)。とじる、ふさぐの意にも用いると説明している。
[解字]形声。音符の手(て)と、音符クワツ(=舌。くくる意=結)とから成る。手で「くくる」意。一説に、音符クワツは、あわせる意(=會)手で合わせしめくくる意。
なお、「字通」白川 静著(平凡社)も、ほぼ同じような説明である。語源については「日本語源大辞典」監修・前田富祺(小学館)によると9説ある。一例「ク(括)を語源とし二つ重ねたククにル語尾をつけて動詞化したもの。」(衣食住語源辞典・吉田金彦)を挙げておく。なお、「くくる(括る)」は他動詞であり、「くくり」は「くくる」の名詞形である。
2、「広辞苑」(第4版、岩波書店)によると、『@くくること。また、くくったもの。くくりひも。A射貫などの裾につけ、裾を足首にくくりよせる緒。B鳥獣などをくくって捕える装置。わな・足緒の類。C(省略)D物事のまとめ。しめくくり。また、終極。(以下略)』と説明している。
つまり、手を使ってくくる意から、物事をまとめや締めくくりの場合などにも拡大して使われるようになった言葉と解される。
3、「蕎麦の事典」 新島繁編(柴田書店)によると、『木鉢でそばを練る手順は前段階の「水まわし」と後段の「くくり」に分けられる。水まわしは粉と水とをまんべんなく混ぜ合わせることで、粉はおから状となっていく。次にくくりに入るが、まず手のひらで押して粉と水の粒子をよくなじませる。水がしみ込み粘りが出てきたところで、一つの塊(玉)に練り上げる。練りあがった玉は表面にひび割れ一つなく、つるりとしたツヤが出る。この状態を「面が出た」、あるいは、「面出し」という。』と説明している。
4、「そば・うどん百味百題」 企画・日本麺類業団体連合会(柴田書店)によると。江戸流の手打ちそばの手順を、次のように分類し、「くくり」は木鉢作業の中に含めている。
つまり
(1)木鉢=@水まわし(加水)、Aくくり(まとめ)、Bへそ出し
(2)延し=@丸出し、A四つ出し(角だし)、B幅出し、C肉分け、D本延し、E仕上げ延し、Fたたみ
(3)包丁=@包丁(きる)、2生舟(保管)
と、大きく三つの作業に分類・整理されるが、このうち、そばのよし悪しを決める急所ともいえるのが、(1)木鉢での@水まわしとAくくりの工程である。(中略)
ところで、同じ木鉢の作業でも、「水まわし」と「くくり」とでは、その目的は全く異なる。「水まわし」は、粉と水とを一粒ずつ均等に結び付ける作業である。そば粉は、水が十分に混ざれば粘りも出て打ちやすくなるのだが、最初のうちは細かい粒になりたがる。そこで、手に力を入れずに、できるだけ素早くかつ入念にかき混ぜることがポイントになる。
一方「くくり」では、「水まわし」によって粉に表面に付着された水分を粉の内部に押し込み、さらに粉の粒子も潰して、そば粉の持つ粘りを引き出すのが目的である。そのために「ねる(こねる)」作業を繰り返し、手に力を加えて、しかもていねいに行う。(後略)』と解説している。
5、江戸ソバリエ四百人が通っている、「至福の蕎麦屋」江戸ソバリエグループ著、藤村和夫監修(ブックマン社)の中の「蕎麦用語解説」の欄によると。『「くくり」とは、水回しが最終段階にきて、蕎麦粉が自分からまとまってきたら手を添えてまとまりを助けて、大きな塊にすること。無理にまとめないことが大事。ただし、江戸風では「自分からまとまる」のはずる玉で、力一杯むりにまとめる「寄せ」が大切である。』と解説している。
V、そば打ちの教本や入門書にみる「くくり」
そもそも手打ちそばがブームになったのは、およそ25〜6年前のことで、ごく最近のことといえる。このブームに乗って巷にはそば打ち教室や道場が出現し、書店の店頭にはそば打ちの教本や入門書、うまいそば屋の紹介本など平積みされるにぎわいである。今回はそんな書籍を中心に、そば打ちの世界では「くくり」という言葉がどのように使われているか探ってみることにした。
1、並木藪蕎麦そば遺文「江戸そば一筋」堀田平七郎著(柴田書店)
本書はタイトルのとおり、老舗のそば屋の店主が江戸そば一筋に生き、江戸そばの真髄と、その心と技を語り尽くされている貴重な遺文である。
本書の第二章そば屋の技術の章には、「木鉢の仕事は水回しが肝心」という見出しの項がある、ここで水回しの大切を語りながら『本当に水回しができていないと、生地の表面を見ると水がいきわたっているように見えても、中は粉っぽかったりします。しかも、まだ水回しが不十分な状態なのに、面倒くさいからといって、本当に粉に水が回らないうちにくくりに入ってしまうことが多いのです。これが、木鉢では実に陥りやすい失敗なのです。』と説き、『水回しが終わると、次にくくりに入ります。くくりというのは、手に力を入れて粉の粘りを引き出し、一つの塊にする作業のことです。その日のそば粉の状態は、このくくりの作業の段階でわかります。(中略)くくりの加減の目安は、生地の表面に照りが出てくるのでわかります。そこまでを短時間でできれば一番よいでしょう。(後略)』と丁寧に説明している。
2、有楽町・更科元四代目藤村和夫著「図解旨い!手打ちそばに挑戦」(ハート出版)
『これから「くくり」に入ります。バラバラのものを「くくって」一つにする作業で、蕎麦作り全工程のうち、一番力がいるところです。なにしろ、「湿式粉砕」をし、粘りを出すところですから、昔の粗い、ともすれば乾いた蕎麦粉から粘りを引き出そうというのです、全身の体重を両手に預け「粉砕」することになります。昔から、「非力の板前は水回しに時間をかけ、大力者はくくりで間に合わす」といわれ、非力な板前の作った蕎麦の方がおいしいことになっています。(中略)木鉢の底の傾斜を利用しながら、押しつぶし、伸ばし、集めることを繰り返しているうちに、粒は両手の中で二つの大きな固まりになっているはずです、同時に、湿った粉に力が加えられる結果「湿式粉砕」がされ、粘りが出てきます。この、二つの固まりを一つにして、その固まりで木鉢の中のハグレ者を全部仲間にするまでが「くくり」です。(後略)』 ちなみに、本書は手打ち作業の要所を図解した楽しいイラストで説明している、著者の人柄が秘められているようだ。本の帯には、<藤村和夫の世界 老舗そば屋の極意がわかる本>とある。
3、名人のそば打ち指南「旨い江戸そば」上野藪そば鵜飼良平著(雄鶏社)
業界の技術指導者として活躍されている著者が、他の同種の著書とは違い写真は使わず、いかにも粋人の著者らしく、さりげないイラスト姿で出演し、作業の方法を具体的に解説している。本書の第二章そば打ち極意の章で、木鉢の作業を@ふるい、A水回し、B錬り、Cでっちあげ(でっちり)、Dくくり(へそ出し)の五つに分けている。そして木鉢作業の最後は、へそ出しした円錐状の生地をつぶし、円盤状にして木鉢の作業は終わり、次の延しの作業へと移ると述べている。
ここで「でっちあげ」という、他の著書に出てこない言葉が使われている。その意味(作業)については、『周囲の生地を中央でまとめると、まるで菊花のような模様ができることから「菊練り」とも呼ばれています。水回しだけでは、加水した水分は完全に吸収されません。こねることにより、粉の周囲に付着している水分が浸透していきます。また、前述したように生地内の空気も抜け、味や食感が引き立ちます。それだけに丁寧な作業が要求されます。菊練りによって、そば生地にコシと粘りが出ることに加え、表面が滑らかさを増す利点もあるのですから。次の延ばしの段階では、生地に柔軟性が必要になるため、菊練りがしっかりできていれば、生地に粘りが出て形を整えやすく、作業もしやすくなります。(後略)』と説明しているが、注目すべき特異なところである。
くくり(へそ出し)については、『引き続き、生地の中の空気を抜く作業です。生地を手前から絞るようにして、円錐状に整えていきます。ちょうど、先ほどの菊の花の部分が頂点になります。中央にしわがよりますので、「へそ出し」と呼ばれています。(後略)』と、前段の「でっちあげ」のときよりやや簡単な説明に留めている。
さて、鵜飼氏のいう「でっちあげる(捏ち上げる)」を「広辞苑」にみると『ないことをあるように作りあげる。捏造する。』と説明している。世間でも「苦労したが、何とか報告書をでっち上げた。」など世俗的な使われ方をしているが、近ごろはあまり耳にしなくなったように思う。
「蕎麦の事典」によると、『でっちる(捏ちる)」とは、そばを作る工程のうち、「くくり」から「へそ出し」までの一連の作業をいう。』とありる。したがって、木鉢作業の「練り」と「くくり」の間に「でっちあげ」を位置づけ、「くくり」をへそ出と説明される鵜飼氏の説は、「蕎麦の事典」の説明と見解を異にしているようだ。また、本書の巻末にある「付録@そば用語あれこれ」の中には、「くくり」の言葉は出ていない。
ちなみに、指導・鵜飼良平氏の監修による柴田書店MOOK「図解江戸流そば打ち技術」(柴田書店)も出版されている。その中で、「くくり」・「でっちあげ」を使った作業の説明は、上記と同じである。
4、本むら庵直伝 「そば打ち入門」 小張勝彦著(日本文芸社)
本書は、タイトルのとおり老舗本むら庵のそば打ち手法を基本とした入門書である。その中の<木鉢の技>という見出しの個所で、木鉢作業を、水回し、2回目の加水、ツヤ出し、錬り、くくり、菊練り、へそ出しの七つに分類している。作業の説明の中で『くくりは、生地の表面がなめらかになってきたら(ツラが出るという)、丸くまとめて「くくり」が完了する。』と述べている。
へそ出しの後は、そば生地を円錐形にまとめ、上から押しつぶし円盤形にし、木鉢の作業はすべて終わり延し板へと移行することになっている。なお、本むら庵流のそば打ちについては、「名店・人気店のそばうどん」(旭屋出版MOOK)の中でも紹介されている。
5、高橋邦弘の「蕎麦大全」高橋邦弘著(日本放送出版協会)
本書は、「そば打ちはけっして苦行ではないというのが、私の信念だ。私自身、つねに楽しんで打っている。ただし、楽しく打つようになるにはそれなりの鍛練がいる。大事なのは、正しいやり方で鍛錬することである。」と語るそば打ち名人で。そば打ちの基本は「一茶庵」の片倉康雄氏に学び、後進の育成に情熱を傾けるだるまの高橋氏の著わした教科書である。
そば打ち作業の説明の中で、木鉢作業は水回し、菊練りの二つに分け、各々23カットの写真を使い、具体的に眼で確認できるよう配慮した説明をしている。水回しは、そば粉の1粒1粒に均等に水を行き渡らせることが目的だと強調され、『この水回しが正確かつ充分になされているかどうかで、そばのでき上がりのよし悪しが決まる』と、いいながら『粉の塊がある程度大きくなったら握ってみる。星(白く粉っぽい部分)がなくなっていれば、水が回った証拠だ。くくりにはいる。小さな粉の塊を両手でくっつけながら、大きな塊にまとめていく。』とわかりやすく説明している。巻末には、「蕎麦用字用語」の説明欄を設けているが、「くくり」はない。
なお、名人・高橋邦弘「こだわりのそば打ち入門」 (日本放送出版協会)の著書も出版されている。本書では、木鉢の作業を水回し、まとめ、菊練り、へそ出しの四つに分類し、木鉢作業は円錐形になった玉(生地)を、押しつぶして円盤状にしたら終わり。水回しの最終段階を「まとめ」と呼んで、『粉同士が固まって、自然に大きな塊になってきます。これを一つにしていくのが、まとめの作業。菊練りに入る前の準備段階といえます。』と説明し「くくり」といわず「まとめ」と平易な話し言葉を使っている。
6、一茶庵・友蕎子片倉康雄「手打ち蕎麦の技術」(旭屋出版)
本書は、片倉氏が渾身の力を込め、一茶庵流そば打ちの技術を詳細に説いた貴重な教本といえる。「くくり」については、『「水回し」を済ませたのち、いくつもの塊を寄せ集めて一つにまとめ、よく練って玉にとる。この工程を「まとめ」とか「くくり」と呼ぶ、生地のなめらかな玉とするべくよく練ることがここのねらい。』と説明している。これが上記だるまの高橋氏が学ばれた技の基であろう。
また、片倉氏はDVD『一茶庵 家庭の道具でできるそば打ちとつゆ作り』(宝島社)も出版されている。
7、今日からはじめる「そば打ち」 金久保茂樹著(ネコ・パブリッシング)
本書では、『くくり=全体に水を回したそば粉をまとめる。』と定義している。そして「くくりのこつ」の個所で『かたまりを寄せ集めて、両手で掴み、引きずっていっては引き戻す、その動きがくくりだ。かつて「非力の板前は水回しに時間をかけ、大力者はくくりで間に合わす」と言われたとか。つまり、非力な板前の方が、水回しを丁寧にやるので、おいしいそばができたとか。このくくりが終る頃には、木鉢は磨いたようにピカピカになっているはずで、そうでなくって、筋がこびりついている場合は、あまり上等な仕事ではなかったことになる。』と説明している。
なお、この他に「蕎麦道楽大全」達人金久保茂樹著(朝日新聞社)という著書も出版されている。その第三章「打つ」の章に「一、蕎麦打ちコツのコツ」の項があり、そば打ち工程を一、水回し。二、加水。三、まとめ。四、菊練り。五、へそ出し。とあり、ここまでの工程を木鉢(以下略)と分類し、「三、まとめ」の説明の最後を『ほぼ耳たぶの硬さに固まってきたら理想的だ、手前から奥に押し付けるようにして、粘土をこねるように全体をくくる。』といって、「くくり」は、菊練りに移行するため生地をまとめること。と説明している。
8、誰でも打てる「十割そば」 大久保裕弘著(農文協)
本書では、第4章趣味派・木鉢流のそば打ちの基本の中で、「趣味派・木鉢流の十割そば打ちの実際」という囲い見出しの個所で、木鉢作業を「水回し」と「練り」の二つに分類している。「くくり」は、水回しの最後の作業として、『小さなかたまりがくっつき始めると、あっという間に大きなかたまりになる。小さなかたまりがなくなったら一つにくくる。』と説明し、次の練る作業の中で、「くくった生地を、鉢の壁のカーブを利用して、両手のひらのつけ根に体重をかけて錬る。」と言及している。つまり「くくり=水回しの最後の作業過程で、大きなかたまりにまとめること」と理解できる。
9、もっとうまくなる「蕎麦打ち上達のコツ50」 手打ち蕎麦研究会著(メイツ出版)
本書では、コツ19「くくり(練り)」を極める、の項で『(くくり)――木鉢の曲面を活用して回転させるように練る(と言うより練り込む)のがコツだ』と、錬り方の説明をしている。
木鉢作業では、水回しを3回行い、粒粒のカタマリを集めまとめるまでが水回し。その後、錬り(くくり)の作業を入念におこない、一つの大きなカタマリになった生地は、次の菊練り作業へと進むことになっている。したがって、本書では「くくり=練り」と解釈できる。
10、男がつくる「手打ち蕎麦入門」 成美堂出版編集部編集(成美堂出版)
本書では、木鉢の作業を、水回し(加水1回〜3回・水回し)、こね(くくり・錬る・菊もみ・へそ出し)の二つに大別し、各々の中をさらに細分類している。
「くくり」は、こねの中で最初に行う作業と位置づけ『こねの目的は、蕎麦粉のまわりに付着した水分を中に練り込むことである。そして蕎麦のコシを引き出す。ダイナミックな作業で、蕎麦を打っていることが実感できる行程だ。』と述べ『「くくり」は、水が回り、自然にまとまってきた粒を一つにまとめる。』と説明している。
11、はじめての「そば打ちを楽しむ」 講談社編(講談社)
本書はそば打ち職人が著わしたものではない。木鉢の作業を、粉をふるう、水回し、くくり、錬り(菊もみ・へそ出し)の四つに分類し、木鉢作業で練り上げた固まり(生地)を、つぎの延し板に移行することにしている。
『「くくり」は、水を含んで次第に大きくなってきた粒をくっつきまとめて、固まり(そば玉)を作る。』そして『「くくりのポイント」は、手についた粉はこまめにはがす。大きくなった粒を木鉢におしつけない。』と説明している。
なお、巻末の知識用語事典には、『(くくり)――木鉢での作業工程の後段階。手のひらで押して粉と水の粒子をよくなじませ、そば玉に練り上げていく作業をくくりという。』とある。本文とは別の者が書いたのであろう、本文中の説明とは(工程の段階で)少し違うように受け取れる。
12、食品加工シリーズ2「そば」 服部 隆著(農文協)
本書では、「こねのコツ」の中で、木鉢作業を、篩通し、湯ごね、水回し1、水回し2、水加減の確認、まとめ、こね、くくり、へそだし、と九つに分類している。八番目の「くくり」については、『菊練りをしながら包み込むように一つのきれいな面でくくっていきます。菊練りのやり方は図を参照してください。』 と説明している。つまり「くくり=菊練り」と理解できる。
なお、服部 隆氏は「誰でもできる手打ちそば」(農文協)の著書も出版され、その中で「くくり――水の回ったそば粉を一つのかたまりにまとめていく作業。」と説明している。上記の「食品加工シリーズ2「そば」」に記載されている(くくり=菊練り)とは説明を異にしているようだ。
13、やさしくできる「ひとりそば打ち」向井玉雄・榎本桂子共著(合同出版)
本書では、木鉢作業を「水回し」と「くくり・こね」の二つに分類している。「くくり・こね」の中で、『水を含んだそば粉を集めてよくこね、ねばりを出させてひとつにまとめる作業。』と述べ、「くくり」という言葉を使わずにまとめると表現している。
14、素人そば打ち段位認定制度公認テキスト「そば打ち教本」全国麺類文化地域間交流推進協議会監修(柴田書店)
本書はタイトルのように全麺協公認の教本で、技術指導は業界の名人・達人といわれる鵜飼良平、唐橋 宏、高橋邦弘の三氏が担当している。第1章そば打ち技術の真髄の章で、蕎麦打ちの技を実演写真付きで解説している。しかし、その中で三氏共「くくり」という言葉を使っていない。全国を網羅した唯一のそば打ち段位認定制度公認のテキストとして、用語も話し言葉に統一し、言葉使いも平易さに配慮したものと思われる。
15、「くくり」を使わない事例では、@旭屋出版(旭屋出版MOOK)が出版している、『そば処の名人20人が伝統の技を公開郷土そばの技術』。『名店・人気店のそばうどん』。『山形・村山「板そば手打ちの技術」(最上川三難所そば街道振興会)監修』などがある。いずれも「くくり」という言葉は使っていない。
A歴史春秋社が出版した『世界一難しいそば「会津そば」』は、地元7人のそば打ち名人のそば打ちを紹介したもの。しかし、「くくり」という言葉を使わずまとめると表現している。その他、柴田書店MOOKの『そば・うどん手打ち道場』、『そばうどん』を始め、そば打ちに関する著書はたくさんあるが記載は省略する。いずれも対象とする読者を考えたのであろう、普遍的にまとめと表現している。
16、「江戸ソバリエ倶楽部通信」(2008/3/8 No、6)「手打ち蕎麦の特許」の記事によると、図1 蕎麦打ち作業工程フロー(車家)の中で、水回し工程の最後を「くくり」とし。そのあと「菊もみ工程」に移る間に「減圧処理工程」とあり、これが特許ではないかと思われる。その他のことは江戸流そば打ちでは普遍的はことであり、特許の対象にはならないと考えられる。いずれにしても、「車家」では水回し工程の最後を「くくり」としている。
17、各種の著書で見ると、「くくり」は、江戸流そば打ち工程の木鉢作業の中で使われているようだ。江戸そばの老舗の伝統やしきたり、職人のそば打ちに対する考え方、あるいは「くくり」という言葉の解釈の違いであろう、自らの技を説明するときに使っているが、その使い方は様々である。この多岐にわたる「くくり」の使われ方を作業工程で分類整理してみると、
@ 「水回しの最後のまとめ」をいう場合。
A 「練り(または菊練り前)」をいう場合。
B 「菊練り」をいう場合。
C 「へそ出し」をいう場合。
D 「練りからへそ出しまで」をいう場合。
以上、五つに分けることができる。
いうまでもなく、この他に「くくり」を使わない場合がある。それは、各地方独自のそば打ちの場合。および、そば打ちを全く知らない人を対象にした、ごく平易で普遍的な入門書やハウ・ツーもの等である。つまり、本の読者層の範囲を考えた編集方針によるものと思われ、しかもこの傾向の書籍が増えているように見受けられる。
W、むすび
1.禅宗では、悟りの内容は文字や言葉で伝えられるものではない、といい。職人の世界では俗に「技は教えられて学ぶものではない、盗むものだ。」などといわれている。しかし、西欧化の進んだ現代((いま)は、難解な言葉や難しい技((わざ)を説明するとき、論理的で分析的に分かり易く説明しないと、理解してもらえないのが当たり前になっている。そのことは、前記のそば打ちの著書でも、伝統的な技の紹介する説明では「くくり」を使い、そば打ちを全く知らずに、初めて挑戦する読者を対象とした場合は、木鉢の工程を細かく分類し、説明は「くくり」といわず「まとめ」と表現している。
やまと言葉は情緒性に長け、包括的な意味合いで使われてきた。「くくり」は、職人が木鉢でそば粉と水を攪拌し、おのずからまとまろうとする微妙な状況の推移を観ながら、力を加えて粘りを引き出し手早くまとめ、延ばし作業へ移行する過程のことをいうのだろうと考える。したがって「くくり」は木鉢工程を細かく分析し、その一部を特定していうべきことではないように思われる。しかしながら、そば打ちのことを全く知らない者にそば打ち作業を説明しようとすれば、作業工程を細かく分解し具体的に分かりやすく説明する必要がある。つまり、説明は科学的合理性が求められるため、情緒的で包括的な「くくり」という言葉ではなく、説明用語のまとめや練りという言葉で具体的に説明することになるのであろう。
2.「文明はつねに世界文明的であり、文化はつねに個性的なものである」という田中美知太郎、今西錦司両氏の説に基づき考えてみると、文明は、普遍的で使いやすいもので一つの民族や地域に固定することなく、グローバルに浸透していくものである。しかしながら、一方普遍的なものは、つねに次の新しい普遍的なものに取って代わる可能性を秘めているのである。片や文化は、それぞれの民族が生存してきた気候や風土や歴史の固有性にしたがった、個性的で多様性を持ったものであるから普遍性には欠けるところがある。その一例が言語であり食である。つまり、「くくり」とうい言語、手打ちそばという食べ物は、日本民族がもつ固有のかたちであるから、だから時代の流れに合ったかたちに変容(変化)してゆくこがあっても当然のこととであるが、全く新しいかたちに取って代わることはないと考える。
3.そこで「そば打ちにおけるくくり(括り)」については、『「くくり」―蕎麦をもむとき、水まわしが終わり、それをひとつにまとめてこねあげる動作。くくりが悪いと、蕎麦が伸びてくれない。』という藤村和夫氏の説(著書『蕎麦屋のしきたり』の中の[用語・隠語・口伝解説](NHK出版))を拝借し、本文の「くくり」としたい。
「石臼の会」 小 林 尚 人
すばらしい「くくり」のまとめをありがとうございます。いつもながら徹底した追及と考察に頭が下がります。
「くくり」という言葉を情緒的で包括的な「やまと言葉」として見ると、蕎麦打ち作業の一工程の説明として「くくり」という用語を使用すること自体が好ましくないという結論になりそうです。
くくりという用語をどういう行為として説明するのが良いのかという視点で考えてみました。
小林さんが引用された文献の内容について、あれこれ思考した挙句に下記のような考えに至りました。練り・くくりの段階で、水回しで水分の加わったそば粉にさらに力が加えられ、粒子の押しつぶしを伴って、粘りとつやを生み出す過程を伴うかどうかが重要に思われました。引用文だけでは明確に判断できないものもあるので、さらに検討・吟味の余地大として一読ください。
結論として、「くくり」の過程を中心に前後の工程を考えると、下記のようなまとめ方が可能と思われます。
1.くくり以前に練りが行われているもの、
2.くくりが練りをともなうもの、
3.くくりのあとに練がおこなわれるもの、
4.練りの作業が明確でなく、水回しから角出しまで、練りが強調されないもの(自然に玉になって纏まる等の説明がされるもの、あるいはくくりの前後に練りを伴わないもの)。
小林さんがまとめられた5つの内容について、以下のようなまとめ方も可能かと思いますが、上記の区分とあわせて考えると、やや複雑になってしまいました。
@ 「水回しの最後のまとめ」をいう場合
>単にまとめる作業で、くくり前に練りはない。
A 「練り(または菊練り前)」をいう場合。
>くくり自体が粒子の押しつぶしを伴い、粘りを生む作業を伴う。
B 「菊練り」をいう場合。
>まとめる作業とあわせて菊練りをくくりとする。この場合、菊練りが粘りを生む作業を含む場合と含まない場合がある。
基本的に、菊練りは練る作業というより空気を抜くことに主目的があると考える(鵜飼氏のでっちあげでいう菊練りは、練りのあとにさらにコシと粘りを付加する作業として捉えられていることには注意したい)。
C 「へそ出し」をいう場合。
>空気抜きを終えてまとめる作業。へそ出し以前に練りが含まれる場合と含まれない場合がある。
D 「練りからへそ出しまで」をいう場合。
>練りからへそ出しまでの一連をくくりとするもの。
下記の部分は、くくりに対する小林見解のすべてが集約される名文と思いました。
●●●●●「くくり」は、職人が木鉢でそば粉と水を攪拌し、おのずからまとまろうとする微妙な状況の推移を観ながら、力を加えて粘りを引き出し手早くまとめ、延ばし作業へ移行する過程のことをいうのだろうと考える。したがって「くくり」は木鉢工程を細かく分析し、その一部を特定していうべきことではないように思われる。しかしながら、そば打ちのことを全く知らない者にそば打ち作業を説明しようとすれば、作業工程を細かく分解し具体的に分かりやすく説明する必要がある。つまり、説明は科学的合理性が求められるため、情緒的で包括的な「くくり」という言葉ではなく、説明用語のまとめや練りという言葉で具体的に説明することになるのであろう。
ただ、文明・文化のくだりでは、「くくり」という言語、手打ちそばという食べ物が日本民族がもつ固有のかたちであるから云々とありますが、世界各地の粉食文化において「くくり」同様の工程があることを考えると、くくりという行為自体は、粉食加工の共通したプロセスに対して与えられる、日本独自の呼び方であるともいえるのではないでしょうか。(もちろん、その手法と技術には日本文化としての個性があることはいうまでもありません。)
くくりという工程は水回しのあとにそば粉が塊としてまとまる(あるいは、塊としてまとめる)一過程を表してはいますが、人により流儀により、練りの工程と前後して位置づけようとするときに差が表れるものと考えます。どれが正解とというものではないので、人に伝えるときに自分はどのように解釈して打っているのかを説明できればよいのではと思った次第です。
長文失礼しました。
今後のさらなる研究の進展をご期待申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。
「くくり」に関する大論文,拝見しました。
私の頭では,ざっと読んだだけでは良く理解できない部分もありますが,この論文は,蕎麦打ちをする者にとって非常に参考になります。何度も読み直して勉強したいと思います。有難うございました。
蕎麦打ちをする際には,やまと言葉の「くくり」を念頭に置きつつ,「煉り・菊煉り・へそ出し」の行程を地道に行っていきたいと思います。
今後とも,ご指導の程よろしくお願いいたします。
蕎麦侍様
お久しぶりです。いつも通りの鋭いコメント,小林様もますます張り切るのではないでしょうか。
笑門来福様
プログ管理人,お疲れ様です。今後とも投稿に不慣れな方の味方として,ご活躍願います。
以上