7月19日 土曜日は深大寺の「夏蕎麦を味わう集い」、年末には秋蕎麦で何度も開催されていますが、夏蕎麦では3年目。ご本尊の前で行う「献そば式」がメインイベント。蕎麦を切り、和紙でくるみ、水引を掛けて、三方に乗せて、献上します。1年目は水引掛け、2年目は道具運び、3年目は遂に切りを担当します。
切りをやりたくて手順を踏んだ訳ではありませんが、毎年同じ役ではつまらないし、3つの役の最後が切りだった訳で、今年の10月で還暦を迎えるのでその記念になりますし。そんな話をすると、還暦とは羨ましい、と言われます。確かに回りにいる仲間はみなさんその年齢以上、そんな年回り、役回りです。
今年の蕎麦粉は、大分豊後高田産と福井産の2種類。我々は福井産を担当、大分豊後高田産は調布蕎麦打ちクラブ、調布市の職員で構成され、年末も担当されており、調布市民会館に常備されている蕎麦打ち道具を買い揃えられた方、いつもお世話になっております。Mさんはそのメンバーですが今日は我がチーム。
他に毎年開催要領を打合せしてくれていて初回に切りを担当したT氏、昨年切りを担当したI氏の4人が蕎麦打ちをします。本日の参加者52名+賄い含め90人分の蕎麦を打ちます。福井産の蕎麦粉が使われるのは初めてで、県の職員2名もお越しになっており、汁、大根、ネギ、花かつおも持ち込まれています。
そう、本格的な「越前そば(おろしそば)」を提供しようという力の入れよう。
事前打合せでは、蕎麦の太さも指定され、メールで送られて来た写真を見せてもらいます。更には、大根のおろし方、汁の提供の仕方、微に入り際に入りご指示があったそうです。じゃあご自分で、と言いたくなるくらい。
集合時間12時前に深大寺庫裏に集合した蕎麦打ち担当4名は、門前さんに蕎麦粉を取りに行き、指示に従うべく蕎麦打ちを開始。蕎麦打ち道具は深大寺で開催されている「そばの学校」で使われているもの。土間が平らではなく、でこぼこしているので、それを調整する木片まで揃っています。
1年目はその道具がなく、調布市民会館で打って、車で運んだ記憶があります。その時の参加者はもっと多く、200人前近くは打ったはず。今回は90人分、蕎麦粉にして5K、外二でとなり6K、1.2Kで5回を4人で打つのですから大した量ではありません。与えられた伸し台は3台、先ずT氏以外の3人が打ちます。
久々の1.2K、腕が悲鳴を上げますが、そんな素振りを見せないように伸して、切ります。打ち終えて、賄いのカレーライスを頂いて、打ち場に帰るとT氏が4つ目を伸しています。5つ目をI氏が伸して、我々の蕎麦打ちは終了。Mさんが切り落としを集めて切ったのが蕎麦守観音用になり、T氏が水引掛け。
残すは献そば式用の蕎麦打ちのみ。今までは蕎麦会用の蕎麦ばかりだったので、待つ必要はありませんが、ご本尊の前で切るのに乾いた蕎麦では始まりません。バス通りに引っ越した蕎麦守観音を確認し、鬼灯祭りを見て、時間を潰します。蕎麦守観音へのお練りに出発予定から逆算して1時間前に蕎麦打ちを開始。
今度は福井産の蕎麦粉400gにつなぎを100gの二八、適度の大きさに伸し、半紙の巾に合わせて端を切り、乾燥防止用のビニル袋を被せて、準備は終了。上着を着て正装になり、紙製のマスクをして準備万端、蕎麦守観音へのお練りがスタート。この紙製のマスク、視野を遮り、下の方が見えません。
私は三方を頂き、先導の僧侶2名続き、お鈴の音の中、深大寺本堂玄関を出発。以前は山門内の境内にあった蕎麦守観音さま、春に境内外のバス通り端にご遷座されています。本堂前で一礼、山門の階段を注意して下り、左が門前さん、右が嶋田屋さんという参道を抜け、バス通り手前を右折して、左手のソバ畑の奥。
その沿道には、写真を撮る方、ただ何事かと見守る方、手を合わせ拝む方、何かを食べながら行列前を横切る方、といろんな方がいます。もちろんその行列に続く方がいるからお練りです。蕎麦守観音さまにお参りをされている方が2名、お鈴に気付いて、脇に避けてくれ、隊列が到着となります。
蕎麦守観音前にはさっきはなかった白い布でくるんだ台が設えてあり、二番目の僧侶が焼香台を置き、私が捧げてきた三方の蕎麦を受け取り、供え、読経の続く中、お焼香です。1年目はお供えはそのまま置いて帰ったのですが、2年目からは持ち帰ることとなり、受け取りの為、柵外で待機し、列を見守ります。
帰りも僧侶2名を先頭にお練りをして、本堂に一礼、本堂玄関で下げてきた三方を渡し、さあ「献そば式」本番です。Mさんからまな板に乗せた蕎麦を受け取り、6名の僧侶、住職に続き、参列者が待つ本堂に入ります。僧侶、住職が定位置に着座、白い布にくるまれた作業台が正面に据えられます。
去年は2台だったのが今年は1台、まな板を出来るだけ右に置き、半紙を置けるスペースを確保して、庖丁の鞘をまな板の左側に置いて、切りの作業開始。読経の声が大きくて切っている音はさほど響きません。30本位切って、庖丁を置くスペースが見当たらず、小間板の下の蕎麦のない部分置くしかありません。
切った蕎麦の打ち粉を落として、T氏が置いた半紙に乗せるのですが、水切りを掛ける様子がありません。2年前、T氏が切った蕎麦に水引を掛けた時もそんなことだったように思います。そうか、足りないんだ、と気付き、もう30本、切り足します。おー、水引掛け作業に入ってくれてほっとします。
30本を2回切り、脇の焼香台で水引掛けを終たT氏から半紙が来るのを待ちます。もう30本を2回切って、切りの作業は終了。切り屑があるので小間板で押さえて、庖丁を乗せて、待機席に引き上げます。後で聞いたのですが、この時I氏が道具を取りに来てくれたらしいのですがまったく気付きません。
この作業台が少し高いのと、前後に揺れるのが曲者、切れなくはないのですが、心の乱れもあるのでしょう、切り幅は乱れ気味です。そして、下には蕎麦の切り屑と打ち粉が落ちています。去年は気の利くお坊さんが拭いてくれたそうで、今年はそのまま、拭きに行こうかとも思いましたが、それもままならず。
T氏が三方に乗せた3束の蕎麦を僧侶に渡し、ご本尊にお供えして、僧侶6名が退出して、それに続いて退出すれば「献そば式」は滞りなく終了。と思いきや、住職のお話、これが長いんです。私が話好きという訳ではなく、会場の準備が整うまで調整しているんです、とのことですのでお役目ご苦労さまです。
住職のお話が済んで、ここでもお焼香ですが、その前に住職に続いてようやく退席。庫裏に戻って、切り屑の始末をして、衣装を脱いで、ほっと一息つきます。考えているのとやってみるの、随分と違うものです。これで三役全て担当させて頂いたことになり、今年還暦を迎えるいい記念になりました。
後はお客さまに、蕎麦を食べてもらい、後片付けをし、門前さんで打ち上げをして終了となるのですが、それを待つ間が手持ち無沙汰な時間です。お茶を頂き、待つこと小一時間、ようやく厨房に蕎麦の注文が入ります。茹でるのは夏も冬も調布蕎麦打ちクラブのお仕事。先ずは、大分豊後高田産の「もり」から。
火力充分な大釜、I氏が欲しいとおっしゃいますが、置く場所も無ければ、ガス代すら払えそうにありません。1度に茹でるのが麺の状態で600g、これが6人前になります。瞬く間に9回茹でて、残り2枚が賄いに回って来ます。色は微かに青い程度ですが旨い。
次がいよいよ我々が打った福井産で、「越前そば(おろしそば)」になるのですが、上からの注文が来ません。生舟が5段、舟の中を覗いて見ますが、私の打った太いであろう蕎麦が見当たりません。そんな太くなかった、ということなのでしょう。
「もり」はざるでしたが、「越前そば(おろしそば)」は椀。
お膳も黒塗りです。これに6椀が乗り、8膳と4つ。ここでは門前さんのご主人が盛りを担当、こんな様子は初めて見ます。釜から上がった蕎麦を冷水に投入、粗熱を取り、流水で洗って、氷で〆め、上げざるに開け、広げ、水切り。これも指先を横に動かすのではなく、上下に動かし、広げるのです。
そうすれば麺が切れない、とのこと。ここから別の上げざるに6等分して置きます。ここからがご主人の出番。6等分された蕎麦を空気を含ませるように上からのパラパラという感じで椀に盛ります。この作業の美しいこと、なるほどね、こういうことだったんだ、新しい発見に出会えます。
途中で、茹でが甘かったようで上げざるに上げた段階で硬い、ということに気付き、その釜1回分跳ねられます。打ったのが粉で6K、麺にして9Kですから、量にしては充分です。8膳と4つが出て、残りが賄いに回ります。心なしかこっちの方が旨いと思うのは、自分たちが関与しているせいなのか。
蕎麦の試食に満足したI氏が明日に備えて打上げ前にお帰りになる途中、ミス須賀川と遭遇、浴衣美人にツーショット写真を撮ってもらっている所を遠目から写真に納め、来賓のお客さまの車が出た所で、一足お先に打上げ会場の門前さんに移動します。と、住職も集いの出席者も既に始めています。
ビールではなく、何故かW氏から託された「上善如水」で乾杯となります。2本のうち1本は住職のテーブルに。集いで出されたつまみも出てきます。「そばの実のやまかけ」、茹でた丸抜きにとろろが掛かっているのですが、これもどこかで使えそうです。福井産「へしこ」の大根挟みも美味しかったなぁ。
調布蕎麦打ちクラブが少し遅れて着いて乾杯。最後に配膳をメインで手伝っていた一味会が着いて、また乾杯。いろんなつまみを食べ、お酒のお代わりも随分としましたが、写真を撮れる雰囲気でなく、記録には残りません。時刻が来て、お開きに、外は雨が降り始めています。今年もいい会になりました。
〜 highland 〜