超山形蕎麦通の江戸ソバリエ仲間〜m〜さまに、「近いうちに都内で、天保蕎麦が食べられるという話があるよ」と聞いていた。まだかなぁ〜何時かなぁ〜と待って、企画が実らなかったのか?と不安になった頃、正式に情報が届いた。
ということで、早速初日に飛んでいく。
■■天保そば天ざる
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種の保存用として、交雑しないようにしっかり守った部分での一昨秋の収穫量は、“わずか30kgだった“という噂も聞いている天保ソバ。
しかし今では、それとは別に、山形市内や西蔵王、月山山麓へと耕地を広げ、毎年試食会を開催したり、「天保そば提供店」で、期間限定数量限定ながら、店頭で販売できるまでの収量を確保するまでになっている。だから、今回もその部分での蕎麦提供だ。それでも東京都内でいただけるのは、「初」なんじゃないだろうか?
ということで、私が天保蕎麦をいただくのは、今回3度目。その内1回は、乾麺だったので、正直言って香味の違いが良くわからなかった。2度目に生で食べた時の衝撃が強く、是非また生でじっくり味わって、本当にほんとにあの香りだったのか、知りたかった。
山形天保そば天ざる 1801円
もちろん、天保蕎麦が目当てなんだから、お財布の中身が軽くなっている私としては、山形天保そば盆ざる 1001円にするかどうか、超迷った。(それにしても、なんで 1円、の半端な数字が登場するのか?レジの人は、つり銭の手配が大変なんじゃないかなぁ?理由を聞けばよかった。面白い話があったのかも。)
でも、本来、天保蕎麦を食べようと思ったら、山形への交通費を支払わねばならないし、一緒に付いてくる「味付け玉こんにゃく」や「カブ漬け」にも、とても魅力を感じてしまい、「山形天保そば天ざる 1801円」を選択。と言い訳。
麺の姿は、綺麗な細打ち。他の庄司屋さんの蕎麦品書き、そば粉十割つなぎ一割の所謂「といちそば」よりも、やや粗めに挽いてある。ほんの少し外皮も挽き混ぜたザラッと感も。
いよいよ、手繰る。
一口目で、おぉ〜やっぱり!この香り。あぁ〜やっぱり、そうなんだ。冗談じゃなく「ワイルドだろぉ〜?」と言われているような感じがする。160年強のタイムカプセルを開けると、ソバの粒に当時のこんな香味が閉じ込められているのか?ちょっとしたエグみと、確かな甘みがあって、変な話し、日焼けしたもの・・・日向の香りというか、ちょっと古い土蔵のような匂いも、ほんの一瞬だけする。
荻窪「本むら庵」で修行を積み、ニューヨーク「本むら庵」にも4年間勤務した庄司屋5代目に、天保ソバについて、チラッとお話を伺った。
天保ソバは、今のきちんと交配し、管理し、作り上げた品種とは、全然違っているので、畑に成長する姿(バラバラと育って、背丈が徒長したり、短かったり、倒れたりも)といい、玄ソバの実(大きさや形)といい、それぞれにバラつきが多く、個性が強く荒々しい。打つときも、やはり安定した他のものとは違う難しさもある。と。
■■山形展
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6月13日(水)〜18日(月)
※最終日は、18時まで
日本橋三越本店 7階 催物会場イートイン
山形 そば処「庄司屋」
天保蕎麦は、毎日限定30食
山形天保そば盆ざる 1001円
山形天保そば天ざる 1801円
■■天保蕎麦とは
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〜〜〜2010年6月8日 ブログ内記事より〜〜〜
1998年12月 福島県の大熊町大川原地区にある旧家 横川家で、家を新築するにあたり母屋を取り壊すと、天井裏から小さな6俵の俵がでてきた。多重構造に工夫されたその俵と俵の隙間には、木炭と炭の粉が入れられ、一番内側に茶褐色〜黒色になったソバの実がぎっしりと詰められていたという。それは、“天保の大飢饉(江戸四代飢饉の一つで、特に1835年〜1837年は大凶作となり、東北地方は他地域にもまして被害が大きかった)”の時に、冷害凶作にみまわれた苦しんだ五代前の先祖 横川助治郎さんが、子孫のために残した物だという。
そんな俵を発見し、「先祖の残したソバに、花を咲かせたい」と願った現当主、そしてそのソバの実を管理する事になった福島県製麺協同組合青年部は、発見された天保時代のソバの実を、国や大学の専門研究機関などにその由来を添え送り、発芽実験を依頼した。しかし相談された殆どの機関では「すべての種子で、胚は既に発芽活性を喪失しており、発芽成長する能力は無い」と結論を出すに至る。
そんな中、山形県・鈴木製粉所 先代の鈴木彦市さん(当時社長)を中心とした有志が、それまでの経緯・失敗に終わった実験方法を踏まえ、昔ながら農家に伝わる栽培法や言い伝えを参考に、発芽実験に取り掛かる。試行錯誤し苦労の末、160年余り眠り続けていたソバの実の発芽・栽培に見事成功した。そこで、「天保そば保存会」を立ち上げ、原種を他の品種と交雑しないよう山形県酒田市沖の「飛島」に約20アールの畑を作り、種子を採取することができた。やがて山形市内や西蔵王、月山山麓へと耕地を広げ、今では毎年試食会を開催したり、「天保そば提供店」では、期間限定数量限定ながら、店頭で販売できるまでの収量を確保するまでになったのである。試食会に参加された方の言葉によれば、「天保そばの特徴は、香りの高さと深い甘み」という。
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「天保そば保存会」の皆さんは、東日本大震災後立ち入り避難区域となってしまった福島県大熊町大川原地区の方々のために、仮設住宅へ行って天保蕎麦を振舞うという交流を続けている。
天保蕎麦について、もっと詳しく知りたい方は、
幻の山形天保そば保存会のサイトも、是非。
それからなんと、
天保蕎麦を天井裏に保管していた福島県大熊町大川原地区 横川家ご子孫と、江戸ソバリエ仲間のNさまは、同級生というご縁もあった。ちょうどこの日、店舗まえでNさまにお会いして、感慨深いお話しも伺った。
蕎麦が繋いでくれるご縁に、今日も感謝。
■■山形「庄司屋」
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慶応年間に山形城三の丸にそば茶屋として創業。江戸末期には、大いに繁昌し、三の丸吹き張り口の堀端に三層楼を構えた。太平洋戦争の影響で、一時休業したものの、山形では一番の老舗という。山形県の麺類組合青年会長を務めた4代目庄司武彦さんが、全国の蕎麦屋を食べ歩き研究した結果、伝わった山形の蕎麦打ちと東京の蕎麦手法の合体を試みたらしい。先延の5代目庄司信彦さんは、石臼の会ともご縁の深い荻窪「本むら庵」でも修行。
そば粉十割つなぎ一割の「といちそば」で、色は少々黒いがその青味を帯びた香と甘味を特徴としている庄司屋の蕎麦打ちを、今回の三越山形展会場でも見学することが出来た。
このブログ記事を書く段になって、遅ればせながら合点がいったのだか、確かに水回しの流儀が荻窪「本むら庵」と良く似ていた。そう思うと、妙に感慨深く、「本むら庵」で先代に可愛がっていただき、引き続いて現店主さんにも蕎麦打ちを指導いただく石臼の会M先生やシリウスさまに、是非この蕎麦打ちを見ていただきたく思った。
それとは別に、のしは、庄司屋流で丸のしだ。3kg程あろうかという大玉を、長さの違う3本の麺棒で、広く広く大きく丸くのしてゆく。江戸流を見慣れた私には、特にたたみ方がとても難しく、どうなっているのか覚えきれなかったけれど、美しく切りそろえられてゆく麺のロスが少ないことに、ひたすら感心してしまった。
本店:山形市幸町「庄司屋」
■住所山形市幸町14-28■電話023-622-1380■営業時間11:00〜20:30(LO20:00)■定休日月曜 (祝日の場合は営業)
御殿堰七日町「庄司屋」
■住所山形市七日町二丁目7-6■電話023-673-9639■営業時間11:00〜21:00(LO20:30)■定休日なし(元旦、大型連休後、臨時休業等お休み場合はHPで告知)
■■ブログ内関連記事
■■■天保蕎麦@愚直庵
■「天保ソバ」放射性炭素年代測定
posted by 笑門来福 at 12:42| 東京 ☁|
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