来客があった。
24日、蕎麦打ちの最中、水回しを終えたところである。外へ出、挨拶もそこそこにし、また中に戻り蕎麦を捏ね始めた。客は入ってきて、「もうはじめているんですか?」と11時15分頃のことであった。
お客は『興味津々』さん。ええ、やってます。と応えて汗を拭き拭きの捏ね、括り、延し、切りを終え、船に入れた。北海道幌加内産の十割り蕎麦。それぞれのポイントで、技量の足りない点や腑に落ちない点の教えを請うた。
次に、興味津々さんの模範演技、実技指導を願った。栃木産の生粉打ち。その前に持ち込まれた自作の手作り木鉢を拝見する。二尺のどっしりとした存在感のある鉢。ノミで彫った後、彫刻刀で亀甲型の凹凸を丁寧にきめ細かく刻み、漆で仕上た逸品である。一年半の労作である。
この逸品に栃木産の蕎麦粉、一kgを入れ、いよいよ蕎麦打ち開始。流れるような手の動き、一粒一粒に水を行き渡らせ、淀みなく舞うごとく粉が鉢の中を動き回る。
次第に緑色が濃くなり、香りが立ち、粒が大きく成長していく。木鉢の亀甲紋が粒を転がし、くっつけ育てているようにも見える。景色の良いことこの上なし。印象派の絵を見る如し。深い木鉢の底から現れては消え、消えては光を浴び、姿を変えてその輪郭をはっきりと形成してゆく。やがて、眩しいばかりの玉が鉢の中央に輝きを放つ。
延し棒は滑らかに滑り、力具合は変幻自在にピアニシモ、フォルテシモ。1,5ミリが精一杯で、1,2ミリは至難の業といえば、「太い、0,9ミリ」と非情の一喝。その0,9ミリが、手元の柄が無い蕎麦包丁、1キロの業物で刻まれる。体験的に20本ほど切らせてもらったが、「うーん」しかない。
船に入れる際の蕎麦の扱いは、これまた丁寧で、蕎麦にストレスを与えない。繊細で優しく、大胆ですばやく、慣れた手つきですばやく片付けていく。釜前の作業も、余計なものはなく無駄を省き、必要十分条件である。茹で上げ、洗い、氷水でしめる。
後はこちらの出番である。まず連れ合いが、そして私が蕎麦をすする。生のままで食う。切りそろえた細切り蕎麦の優しい口当たり、すべるように喉の奥へ。しかも、ネチットしたところが全くない、歯切れのよい、潔い歯ざわり。直線的。これが「コシ」というもの。十割りのモソモソがない。洗練された美しい蕎麦。
興味津々さん持参の辛味大根で食べる味。『運命』の響きが脳髄を突き抜ける。御持参の汁は辛くもなく、甘くもなく。いや、僅かに辛いか。一枚のざるは、瞬く間に胃の腑に納まる。交響曲が終わった後の静けさと余韻。酔いしれた感性はアンコールを要求していた。
仕上は、飛びっきりの蕎麦がき。どうぞこれは、他人に教えないでください。秘伝にしてください。秘密の味を皮切りに、窓辺で見る蛍の舞い、囀りで目を覚ます朝、山菜、茸など自然の恵、何よりも蕎麦に係る道具について問わず語りに時が過ぎ、17時を過ぎ、初冬の一日は暮れた。宵待庵の充実したひと時であった。感謝。
〜posted by 奥久慈山荘 宵待庵 〜
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